夜の市街地に響く足音

実話風

数年前の秋、青森県のとある市街地での出来事だ。夜も更けた時間、時計の針はすでに11時を回っていた。私は仕事で遅くなり、疲れ果てた体を引きずりながら、いつものように駅前の雑居ビルが立ち並ぶ通りを歩いていた。この通りは昼間こそ賑やかだが、夜になると人通りはまばらになり、街灯の光もどこか心許ない。冷たい風が首筋を撫で、背筋に微かな寒気を覚えた。

いつもならただの帰り道、特別なことは何もないはずだった。だが、その夜は違った。歩き始めて数分、背後から何か音が聞こえた。カツ、カツ、カツ。規則的な足音。誰かが私を追いかけてくるような、硬い靴底がアスファルトを叩く音だ。最初は気にしなかった。こんな時間でも、遅くまで働く人はいる。きっとただの通行人だろう。そう思って振り返らずに歩き続けた。

しかし、足音は止まなかった。それどころか、だんだんと近づいてくる。私の歩幅に合わせるように、カツ、カツ、カツと、一定のリズムで響く。少し速く歩いてみた。すると、足音も同じように速くなった。心臓がドクンと跳ねる。偶然だ、きっと偶然だ。自分を落ち着けようと、深呼吸をしてさらに歩を進めた。だが、足音は執拗に追いかけてくる。まるで私の影のように、離れることなく、一定の距離を保ちながら。

駅前の大通りから一本裏に入る路地に差し掛かった。この路地は、普段なら近道として使う細い道だ。両側に古いビルが立ち並び、街灯の光も届きにくい。いつもなら何も考えずに入る道だが、その夜はなぜか足がすくんだ。背後の足音が、まるで「そこに入れ」と私を誘うように響く。振り返りたい衝動に駆られたが、恐怖がそれを許さなかった。もし振り返って誰もいなかったら? いや、誰かがいたらどうする? 頭の中でぐるぐると考えが巡る。

結局、意を決して路地に入った。足音はまだ続く。カツ、カツ、カツ。暗闇の中で、その音はまるで私の心臓の鼓動と共鳴しているようだった。路地の真ん中あたりまで来たとき、突然、足音が止んだ。静寂が耳を劈く。思わず立ち止まり、耳を澄ませた。風の音、遠くの車のエンジン音、どこかで鳴る犬の遠吠え。だが、足音は消えていた。ほっと胸を撫で下ろし、振り返ろうとしたその瞬間――カツ! すぐ背後で、耳をつんざくような音が響いた。

体が硬直した。振り返る勇気はなかった。心臓が喉元までせり上がってくるような感覚。ゆっくりと、できるだけ音を立てないように歩き出した。だが、足音は再び追いかけてくる。今度はさっきよりも近い。カツ、カツ、カツ。まるで私の耳元で鳴っているかのようだ。息を殺し、必死に歩みを速めた。路地の出口が見える。あと少し、あと少しで大通りに出られる。そう思った瞬間、背中に冷たい何かが触れた。指先のような、氷のような感触。思わず声を上げそうになったが、喉が詰まって音にならない。

やっとの思いで路地を抜け、明るい大通りに飛び出した。そこには数人の酔っ払いや、遅くまで開いているコンビニの明かりがあった。振り返ると、誰もいない。路地の暗闇が、ただ静かに口を開けているだけだった。だが、安心することはできなかった。なぜなら、背中の冷たい感触がまだ残っていたからだ。服をめくってみると、そこには何もない。ただ、肌が異様に冷たく、鳥肌が立っていた。

家に帰り着くまで、私は何度も振り返った。誰もいないと分かっていても、足音が聞こえる気がした。家に着いてからも、ドアを閉め、鍵をかけ、カーテンを引いて、ようやく少し落ち着いた。だが、その夜は眠れなかった。目を閉じるたびに、あの足音が耳元で響く。カツ、カツ、カツ。そして、背中に触れたあの冷たい感触が、まるでまだそこにいるかのように感じられた。

翌日、職場の同僚にその話をした。すると、一人が真顔でこう言った。「その路地、昔、変な噂があったよな」。詳しく聞くと、数十年前、その路地で若い女性が何者かに襲われ、亡くなったという事件があったらしい。犯人は捕まらず、事件は迷宮入り。その後も、その路地では夜な夜な足音が聞こえるという噂が絶えなかった。地元の人の中には、わざわざ遠回りしてその路地を避ける人もいるとか。

私はその話を聞いて、背筋が凍った。あの足音は、ただの偶然ではなかったのかもしれない。あの冷たい感触は、何だったのか。考えるだけで体が震える。それ以来、私はその路地を通るのをやめた。いや、夜に一人で歩くこと自体、避けるようになった。だが、時折、静かな夜に窓の外からカツ、カツ、という音が聞こえることがある。すぐにカーテンを閉め、耳を塞ぐが、音は頭の中で響き続ける。

青森の市街地は、今も変わらず賑わっている。昼間の喧騒の中では、あの夜の恐怖も遠い記憶のようだ。だが、夜が更け、街灯の光が薄れる頃、私はあの足音を思い出す。そして、背中に感じたあの冷たい感触が、決してただの錯覚ではなかったと確信する。あの路地には、何かがいる。そして、それはまだ、私の後ろを歩いているのかもしれない。

今でも、青森の夜を歩くとき、私は必ず背後を確認する。誰もいないと分かっていても、足音が聞こえる気がするからだ。カツ、カツ、カツ。あなたがもし、青森の夜の市街地を歩くことがあれば、気をつけてほしい。振り返らない方がいいかもしれない。だが、もし振り返ってしまったら――そこに誰もいなかったとしても、決して安心しないでほしい。

タイトルとURLをコピーしました