廃トンネルの残響

SFホラー

それは、ある夏の夜のことだった。

広島の山間部に住む私は、大学時代の友人と久しぶりに再会した。彼は地元で生まれ育ち、最近、県内の山奥で不思議な話を耳にしたという。興味本位でその話を聞くことにしたのだが、それが私の人生を一変させる恐怖体験の始まりだった。

彼が話したのは、広島の山中にひっそりと佇む、廃棄されたトンネルにまつわる噂だった。そのトンネルは、数十年前に建設されたが、事故が多発したため封鎖され、今では地図にも載っていない。地元の古老たちは、そのトンネルには「何か」が棲んでいると囁き、近づく者を拒むように、夜になると奇妙な音が響くという。友人は冗談半分で「一緒に行ってみない?」と誘ってきた。私は、都市伝説めいた話に惹かれ、軽い気持ちで承諾した。

週末、私たちは車でそのトンネルを目指した。山道を進むにつれ、電波が弱まり、スマホのGPSも途切れがちになった。ようやくたどり着いたのは、苔むしたコンクリートの入り口。トンネルは暗く、懐中電灯の光を飲み込むように奥へとのびていた。入り口には「立入禁止」の看板が錆びついた鎖とともに揺れていたが、好奇心が恐怖を上回り、私たちは中へ踏み込んだ。

トンネル内は異様に冷たく、空気が重かった。足元に落ちた水滴の音が、反響して不気味に響く。友人が冗談で「何かいるかもな」と笑った瞬間、遠くから低い唸り声のような音が聞こえてきた。私たちは顔を見合わせ、凍りついた。音は一瞬で消えたが、心臓はバクバクと高鳴った。「ただの風だろ」と友人が強がったが、彼の声も震えていた。

奥へ進むにつれ、異変は増していった。懐中電灯の光が、時折チラチラと揺らぎ、壁に映る私たちの影が妙に歪んでいるように見えた。トンネルの中央あたりで、突然、友人が立ち止まった。「お前、聞こえるか?」彼が囁いた。耳を澄ますと、かすかに、誰かが呟くような声が聞こえた。言葉は不明瞭で、まるで複数の声が重なり合っているようだった。私は「出よう」と促したが、友人は「もう少しだけ」と言い、懐中電灯を振りながら進んだ。

その時、トンネルの奥から、金属を引っかくような鋭い音が響いた。反射的に振り返ると、懐中電灯の光が何か白いものを捉えた。一瞬だったが、それは人間の形をしていた。いや、人間だったはずだ。だが、その顔は異様に平坦で、目も鼻も口もなかった。次の瞬間、懐中電灯が消え、真っ暗闇に包まれた。私は悲鳴を上げ、友人の手を掴んで出口へ走った。背後から、足音ともつかない不気味な音が追いかけてくる。出口が見えた瞬間、友人が転び、私は彼を引っ張り上げながら必死に外へ飛び出した。

外に出た瞬間、音はピタリと止んだ。振り返ると、トンネルの入り口は静まり返り、まるで何事もなかったかのようだった。私たちは息を切らし、車に飛び乗ってその場を後にした。帰り道、友人は「もう二度と行かない」と繰り返し、私はただ頷くしかなかった。

それから数日後、奇妙なことが起こり始めた。私のスマホに、知らない番号からの着信が何度も入るようになった。留守電には何も録音されておらず、ただ、かすかなノイズと、トンネルで聞いたような呟き声が混じるだけだった。夜になると、部屋の隅から視線を感じるようになった。カーテンを閉めても、誰かに見られている感覚が消えない。ある夜、寝室の鏡に映った自分の姿が、一瞬、顔のないものに変わった気がして、飛び起きた。

友人に連絡を取ると、彼も同じような体験をしていた。夜中に部屋の電気が勝手に点滅したり、壁からトンネルで聞いた金属音が響いたりするという。私たちは、トンネルで「何か」を連れ帰ってしまったのではないかと疑い始めた。地元の神主に相談したところ、彼は顔を曇らせ、「あのトンネルには、かつて事故で亡魂が閉じ込められた」と語った。さらに、最近、トンネル周辺で不思議な光や音が報告されているという。科学では説明できない力が働いているのかもしれない、と。

私は、恐怖を振り払うため、科学的な視点で考えることにした。あのトンネルには、未知の電磁波や物質が影響しているのかもしれない。顔のない影は、疲労と暗闇による錯覚だった可能性もある。しかし、夜ごとの奇妙な現象は、説明を拒むように続いた。ある晩、ついに我慢できず、私はトンネルへ戻る決意をした。友人は「絶対にやめろ」と止めたが、私は「これを終わらせたい」と一人で車を走らせた。

再びトンネルに立った時、以前より空気が重く、まるで何かが見えない壁を作っているようだった。懐中電灯を手に、ゆっくりと中へ進んだ。すると、壁に奇妙な模様が浮かんでいるのに気づいた。それは、幾何学的な紋様で、まるで生きているかのように蠢いていた。突然、懐中電灯が再び消え、暗闇の中であの呟き声が大きくなった。「お前も…ここに…」と、はっきり聞こえた瞬間、全身に寒気が走った。

次の瞬間、トンネル全体が振動し、頭の中で無数の声が響き合った。私は気を失い、目が覚めた時には、トンネルの外、車のそばに倒れていた。懐中電灯は壊れ、スマホには無数の無音の着信履歴が残っていた。以来、私はトンネルには近づいていないが、夜になると、かすかな呟き声が耳元で響くことがある。科学では説明できない何かが、私に纏わりついている。

今も、広島の山奥にそのトンネルはひっそりと存在する。地元の人々は近づかず、噂だけが広がっている。もし、あなたがそのトンネルの話を耳にしても、決して近づかないでほしい。あそこには、私たちの理解を超えた「何か」が、確かに棲んでいるのだから。

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