朽ちた神社の囁き

実話風

数年前、奈良県の山奥に住む私の叔父が、奇妙な体験をしたと語ってくれた。その話は、今でも私の背筋を凍らせる。

叔父は、奈良県の山間部にある小さな集落で暮らしていた。そこは、平城京の時代から続く古い土地で、鬱蒼とした森に囲まれ、現代の喧騒とは無縁の場所だった。叔父の家は集落の外れにあり、裏手には古い神社が佇んでいた。神社は地元の人々にも忘れ去られ、苔むした石段と朽ちかけた鳥居が、ただ静かに時を刻んでいた。地元の古老たちは「あの神社は触らん方がええ」と口を揃えて言い、子供たちは近づくことを禁じられていた。

叔父は、普段はそんな話に耳を貸さない現実的な男だった。東京で会社員をしていたが、早期退職してこの集落に移り住み、畑仕事や山菜採りを楽しむ生活を送っていた。しかし、ある夏の夜、叔父の日常は一変した。

その夜、叔父は自宅の縁側で涼んでいた。夏の夜は蒸し暑く、虫の声が響き合う中、遠くから不思議な音が聞こえてきた。最初は風の音かと思ったが、音は次第に明確になり、まるで誰かが囁いているような、かすれた声のようだった。叔父は耳を澄ませたが、言葉は聞き取れなかった。ただ、音の源は裏手の神社の方から聞こえてくるようだった。

「誰かいるのか?」叔父は懐中電灯を手に、裏の神社へ向かった。夜の山は静かで、懐中電灯の光が木々の間を揺らし、不気味な影を作り出していた。神社に近づくにつれ、囁き声は大きくなり、複数の声が重なり合っているように感じられた。叔父は鳥居の前で立ち止まった。そこから先は、まるで空気が重く、足を踏み入れるのを拒むような感覚があった。

それでも、叔父は好奇心に駆られて一歩踏み出した。すると、囁き声がピタリと止んだ。静寂が辺りを包み、虫の声さえ聞こえなくなった。叔父は背中に冷や汗を感じながら、懐中電灯で周囲を照らした。神社の本殿は朽ち果て、屋根には穴が空き、床板は腐りかけていた。その時、叔父の足元で何か小さなものが動いた。懐中電灯を向けると、そこには古い人形が転がっていた。髪はボロボロで、顔の半分は黒ずみ、片方の目は落ちていた。

「こんなものが…」叔父は不思議に思いながら人形を手に取った瞬間、背後でガサッと音がした。振り返ると、誰もいない。ただ、暗闇の中で何かが動いたような気がした。叔父は急いで家に戻り、扉に鍵をかけた。だが、その夜から奇妙な出来事が続いた。

翌朝、叔父が目を覚ますと、家の縁側に同じ人形が置かれていた。昨夜、神社に置いてきたはずのものだ。叔父はぞっとしたが、気のせいだと自分を納得させ、再度神社に人形を戻した。しかし、その夜、また縁側に人形が現れた。今度は人形の顔が、まるでこちらを見ているかのように、微妙に角度が変わっていた。

叔父は地元の古老に相談しに行った。古老は顔を青ざめさせ、「あの神社はな、昔、村の厄を封じるために作られたんや。だが、祀られていた神様はもうおらん。代わりに、別のものが棲みついとる」と語った。古老は、叔父に神社に近づかないこと、そして人形を川に流すよう助言した。

叔父は言われた通り、近くの川に人形を流した。流れに身を任せ、人形が遠ざかっていくのを見届けた瞬間、叔父は背後に気配を感じた。振り返ると、誰もいない。だが、遠くの森から、囁き声が再び聞こえてきた。今度ははっきりと、「返せ…返せ…」という言葉が響いた。

それ以降、叔父は夜になるたびに囁き声を聞くようになった。声は次第に家の中にまで入り込み、夜中に畳を踏む音や、障子がカタカタと揺れる音が聞こえるようになった。叔父は恐怖に耐えかね、ついに集落を離れることを決意した。引っ越しの前夜、叔父は最後に神社を見に行った。そこには、なぜかあの川に流したはずの人形が、鳥居の前に置かれていた。人形の顔は、今度ははっきりと叔父の方を向いており、片目が不気味に光っているように見えた。

叔父は翌日、急いで集落を離れた。それ以来、彼は二度とその地に戻っていない。だが、叔父は今でも、時折、夜中に囁き声が聞こえることがあると言う。それは、まるで何かが追いかけてくるような、冷たく湿った声だった。

数年後、私が叔父の話を聞いてその集落を訪れた時、神社はすでに取り壊され、ただの空き地になっていた。地元の人に話を聞くと、「あの神社はな、触れると祟られるんや」と、誰もが口を閉ざした。ただ、一人の老人がこう呟いた。「あの場所には、まだ何かおるよ。夜になると、囁き声が聞こえるんや…」

今でも、奈良の山奥を通る時、なぜか私はあの話を思い出す。そして、夜道を歩く時、背後に気配を感じると、思わず振り返ってしまう。そこには何もないはずなのに、耳元でかすかな囁きが聞こえる気がして、足早にその場を後にするのだ。

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