私はその日、大学の友人たちと長崎の山奥にある廃神社を訪れた。2015年の夏、蒸し暑い夜だった。地元の友人が「肝試しにいい場所がある」と誘ってきたのだ。その神社は、数十年前に神主が突然失踪し、以来放置されているという噂だった。村人たちは「祟りがある」と口を揃え、誰も近づかない場所だったが、若気の至りで私たちは好奇心に駆られていた。
車を降り、懐中電灯を手に細い山道を登った。草木が生い茂り、足元はぬかるんでいた。時折、遠くで鳥の鳴き声が響くが、それ以外は不気味な静寂に包まれていた。友人の一人が「なんか、変な感じしない?」と囁いた。確かに、空気が重い。まるで何かに見られているような感覚が全身を這う。
神社に着いたのは深夜0時を少し過ぎた頃。鳥居は苔むし、朽ちかけた木造の社殿は今にも崩れそうだった。拝殿の前には錆びた鈴が吊るされ、風もないのに微かに揺れているように見えた。「誰かいるのかな?」と私が冗談めかして言うと、皆が笑って緊張を解そうとした。だが、その笑い声はすぐに止まった。
カラン、と鈴が鳴った。
誰も動いていない。風もない。なのに、鈴が鳴ったのだ。私たちは顔を見合わせ、凍りついた。友人の一人が「やめよう、帰ろう」と震える声で言ったが、リーダー格の友人が「せっかく来たんだから、中を見てみようぜ」と強がった。私も怖かったが、皆の前で弱気になれない気がして、渋々ついていった。
拝殿の扉は半開きで、隙間からカビ臭い空気が漏れていた。中に入ると、床板が軋み、埃が舞った。懐中電灯の光で照らすと、祭壇には古びた神鏡と、なぜか新しい白い布が置かれていた。「これ、誰が置いたんだ?」と私が呟くと、またカランと鈴が鳴った。今度ははっきりと、すぐ近くで。
「誰かいる!」と叫んだ瞬間、背後でガサッと音がした。振り返ると、暗闇の中で何かが動いた気がした。懐中電灯を向けても何も見えない。でも、確かにそこに「何か」がいた。心臓がバクバクと鳴り、全身に冷や汗が滲む。「出よう!」と誰かが叫び、私たちは一斉に出口へ向かった。
だが、扉が開かない。さっきまで半開きだった扉が、まるで誰かに押さえられているようにびくともしない。パニックになりながら必死で扉を叩くが、まるで壁のように硬い。「助けて!」と叫ぶ友人の声がこだまする中、また鈴が鳴った。カラン、カラン、カラン。今度は連続して、まるで誰かが意図的に鳴らしているように。
その時、背後で低いうめき声のようなものが聞こえた。振り返る勇気はなかったが、友人の一人が悲鳴を上げた。「見るな! 絶対見るな!」と叫ぶ彼の声に、恐怖が頂点に達した。私は目を閉じ、ただ扉を叩き続けた。どれくらい時間が経ったのか、突然扉がガタンと開き、私たちは外に飛び出した。
外に出た瞬間、鈴の音はピタリと止んだ。息を切らしながら振り返ると、神社は静まり返り、まるで何もなかったかのように佇んでいた。だが、私たちの誰もが同じものを見ていた。暗闇の中で、鈴のそばに白い影が揺れていたのだ。人間の形をしていたが、顔はなかった。
車に戻り、必死で山を下りた。誰も一言も発せず、ただ恐怖に震えていた。翌日、友人の一人が「あの神社、昔、神主が村の娘を供物にしたって噂があった」と教えてくれた。その娘の霊が、未だに神社を彷徨っているというのだ。
それから10年、私は二度とあの場所には近づいていない。だが、時折、静かな夜にカランと鈴の音が耳に響くことがある。それは遠くで、でも確かに私のすぐそばで鳴っている。まるで、あの夜の出来事がまだ終わっていないと告げるように。
今でも思う。あの白い布は誰が置いたのか。なぜ鈴は鳴り続けたのか。そして、あの影は何だったのか。答えを知るのが怖くて、私は誰ともその話をしない。だが、こうして文字にすることで、少しでもあの恐怖から解放されたいと願っている。あなたは、どう思う?