廃墟の赤い着物

サスペンスホラー

大阪の郊外、雑木林に囲まれた丘の上に、ひっそりと佇む廃墟があった。かつては地元の名士が建てた豪邸だったが、30年前のある事件をきっかけに住む者もなくなり、朽ち果てていた。地元では「赤い着物の女が出る」と囁かれ、近づく者も少なかった。

その夏、俺は大学時代の友人たちと肝試しをしようと盛り上がっていた。メンバーは俺を含めて五人。リーダー格の健太は好奇心旺盛で怖いもの知らず、いつも無鉄砲な計画を立てるやつだった。美咲は健太の彼女で、怖がりだけど彼氏についていくタイプ。智也は理系で冷静沈着、幽霊なんて信じないと言い張るやつ。最後は彩花、霊感があると自称する子で、いつも少し浮世離れした雰囲気を持っていた。そして俺、ただの平凡な大学生で、怖い話は嫌いじゃないけど、実際に体験するのは気が進まなかった。

健太が廃墟の話をどこからか聞きつけてきて、「絶対行こうぜ!夏の思い出になるって!」と押し切られ、俺たちはその夜、懐中電灯とカメラだけ持って車で向かった。1995年の夏、蒸し暑い夜だった。廃墟に着いたのは深夜を回った頃。月明かりが薄く、木々の間から漏れる光が不気味に揺れていた。廃墟の外観は想像以上に荒れ果てていて、窓ガラスは割れ、壁は蔦に覆われ、まるで生き物の骸のようだった。

「ここ、マジでヤバそうじゃん!」健太は興奮気味に笑ったが、彩花はすでに青い顔をしていた。「なんか…変な感じがする。入らない方がいいかも」と小声で呟いた。でも、健太は「そんなの気のせいだろ!」と一蹴。智也も「科学的に幽霊なんていない」と笑い、結局全員で中に入ることに。

玄関の扉は半分壊れていて、軽く押すだけでギィッと不気味な音を立てて開いた。中は湿った空気が漂い、カビと腐った木の匂いが鼻をついた。懐中電灯の光で照らすと、剥がれた壁紙やひび割れた床が浮かび上がる。リビングらしき部屋には古いソファや倒れた本棚が散乱していた。美咲が「ねえ、早く出てこうよ…」と健太の腕をつかんだが、健太は「まだ何も起きてねえじゃん!」と笑いながら奥へ進んだ。

二階に続く階段を見つけたとき、彩花が突然立ち止まった。「…聞こえる?」彼女の声は震えていた。俺たちは耳を澄ませた。最初は何も聞こえなかったが、じっとしていると、どこか遠くから微かに、女の声のようなものが聞こえてきた。歌とも泣き声ともつかない、途切れ途切れの音。智也は「風の音だろ」と強がったが、声に少し動揺が混じっていた。

健太が「その声、探しに行こうぜ!」と提案したとき、俺の背筋に冷たいものが走った。嫌な予感しかしなかったが、みんなが階段を上り始めたので、置いていかれるのが怖くてついていった。二階の廊下はさらに荒れていて、床が抜けそうな箇所もあった。懐中電灯の光が揺れるたび、影が不気味に動く。廊下の突き当たりに、閉まった扉があった。扉の表面には何か赤い染みのようなものがついていて、近づくと血の匂いのような、生臭い臭いがした。

「これ、開ける?」健太がニヤニヤしながら言った。美咲は「やめて!絶対やばいよ!」と叫んだが、健太はすでにノブに手をかけた。ガチャリと音がして、扉がゆっくり開く。中は広い寝室だった。真ん中に古いベッド、その上に赤い着物を着たマネキンが立っていた。いや、立っているように見えた。懐中電灯の光が当たると、マネキンの顔が異様にリアルで、目がこちらをじっと見ているようだった。

「うわ、なんだこれ!キモいな!」健太が笑った瞬間、マネキンの首がカクンと動いた。まるでこちらを見ようとしたように。美咲が悲鳴を上げ、彩花は「やっぱり!ここやばいって!」と後ずさった。智也さえ「…おい、なんかおかしくね?」と呟いた。俺の心臓はバクバクで、足が動かなくなっていた。

そのとき、部屋の奥からまたあの声が聞こえてきた。今度ははっきり、「…かえして…」という女の声。彩花が「着物…あの着物、誰かのものだよ…」と震えながら言った。健太だけがまだ強気で、「マネキンだろ?動くわけねえじゃん!」と近づいた。そして、着物を触ろうとした瞬間、部屋中の窓が一斉にバン!と開いた。風なんて吹いていないのに、カーテンが激しく揺れ、部屋が急に冷え込んだ。

「…かえして…私の…」声はさらに近くなり、まるで耳元で囁いているようだった。マネキンの目が、動いた。確実に。黒い瞳が俺たちを一人ずつ見つめた。美咲が泣き叫び、智也が「出てけ!今すぐ出るぞ!」と叫んだ。だが、扉が勝手に閉まり、ガチャガチャやっても開かない。健太が「ふざけんな!」と扉を蹴った瞬間、マネキンが一歩、こちらに踏み出した。

「嘘だろ…?」健太の声が初めて震えた。マネキンはゆっくり、ぎこちなく、だが確実に俺たちに近づいてくる。赤い着物が床を引きずる音が、シャリシャリと響く。彩花が「謝らなきゃ…!この着物、誰かのだよ!返すって言わな!」と叫んだ。俺たちはパニックになりながら、「ごめんなさい!着物、返します!」と口々に叫んだ。すると、マネキンがピタリと止まった。だが、目だけはまだ俺たちを見ていた。

その瞬間、部屋の電気が突然ついた。古い蛍光灯がチカチカと点滅し、部屋が不気味な白光に照らされる。マネキンの顔が、さっきまでとは違う、歪んだ笑顔に見えた。彩花が「走れ!」と叫び、俺たちは扉を無理やりこじ開けて一目散に階段を駆け下りた。背後で、シャリシャリという着物の音が追いかけてくる。玄関までたどり着き、外に飛び出した瞬間、振り返ると、廃墟の二階の窓に赤い着物の女が立っていた。いや、女だった。マネキンじゃない。長い黒髪が顔を覆い、目だけがこちらを睨んでいた。

車に飛び乗り、アクセルを全開で飛ばした。誰も一言も喋らず、ただ恐怖で震えていた。後日、廃墟について調べたが、あの豪邸では30年前、若い女性が失踪したという噂があった。彼女は赤い着物を愛用していたらしいが、詳細は誰も知らない。地元では、彼女がその家で何かに取り憑かれ、姿を消したと言われている。

あの夜から、彩花は霊感を失ったと言い、健太は肝試しを二度としなくなった。美咲はあの後、夜中にうなされるようになった。智也は「科学では説明できない」とだけ呟き、黙り込むようになった。そして俺…俺は今でも、夜中にシャリシャリという音を聞くことがある。カーテンを開けると、窓の外に赤い着物の女が立っている気がして、毎晩、眠るのが怖い。

あの廃墟は今もそこにある。誰も近づかない、赤い着物の女が待つ場所。

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