旧校舎の深夜の足音

学校怪談

北海道の小さな町に、築50年を超える古い高校がある。その高校は、町の外れにある山の麓に建っていて、昼間は静かで穏やかな場所だが、夜になると雰囲気が一変する。特に、旧校舎と呼ばれる、使われなくなった古い校舎棟には、誰も近づかないという暗黙のルールがあった。

私はその高校の2年生で、放送部の部員だった。放送部は、校内行事の準備やアナウンスの練習で遅くまで残ることが多く、顧問の先生も「遅くなっても責任持つから」と私たちを信頼してくれていた。ある夏の夜、8月の終わり頃だったと思う。文化祭の準備で、放送部の5人で旧校舎の倉庫に機材を取りに行くことになった。旧校舎は普段、部活動や授業では使われていないが、倉庫には古いスピーカーやマイクが保管されていて、必要なときだけ入ることが許されていた。

「旧校舎、なんかヤバいよね」

部活の後輩が、懐中電灯を手に持ちながら笑いながら言った。私も冗談半分で「まあ、幽霊とか出ても放送で実況すればいいじゃん」と返したけど、内心は少し緊張していた。旧校舎には、昔から変な噂が絶えなかった。20年ほど前、旧校舎の3階で女生徒が亡くなったという話だ。事故だったのか、それとも自ら命を絶ったのか、真相は誰も知らない。ただ、その日から旧校舎では不思議なことが起こるようになった。夜中に誰もいないはずの廊下で足音が聞こえたり、窓ガラスに人の影が映ったり、時にはすすり泣くような声が聞こえるという。

私たちは、顧問の先生から鍵を借りて旧校舎の玄関を開けた。ドアが軋む音が、静かな夜にやけに響いた。中は真っ暗で、懐中電灯の光が埃の舞う空気を照らし出す。倉庫は2階にあるので、階段を上ることにした。階段の木の床は、歩くたびにギシギシと鳴り、まるで建物自体が私たちを拒んでいるようだった。

「なんか、寒くない?」

後輩の一人が震えた声で言った。確かに、夏なのに空気がひんやりしていた。湿った冷たさが肌にまとわりつく感じがして、誰もが無言で足を速めた。2階の廊下にたどり着き、倉庫の鍵を開けようとしたとき、突然、奥の廊下から「タンッ」という音が聞こえた。私たちは一瞬、動きを止めた。

「何、今の?」

部長が小声で囁いた。誰も答えなかったけど、全員が同じことを考えていた。あの音は、誰かが歩く音だった。硬い靴の踵が床を叩くような、はっきりした音。だが、ここには私たち以外に誰もいないはずだ。顧問の先生は職員室にいるし、他の部活もとっくに帰っている。

「気のせいだよ、行こう」

部長が無理やり明るい声で言って、倉庫のドアを開けた。私たちは急いで必要な機材を手に取り、さっさと出ようとした。だが、そのとき、また音がした。今度はもっと近く、廊下のすぐそばから。「タンッ、タンッ」。ゆっくり、だが確実に近づいてくる。懐中電灯を廊下に向けても、誰もいない。ただ、暗闇が広がっているだけだ。

「やばい、早く出よう!」

後輩が叫び、私たちは機材を抱えたまま階段に向かって走り出した。だが、階段に差し掛かった瞬間、背後から「ドンッ」と大きな音がした。まるで、誰かがドアを強く叩いたような音だ。私たちは振り返らずに階段を駆け下り、玄関のドアを勢いよく開けて外に飛び出した。外の空気がやけに暖かく感じられた。

息を整えながら、顧問の先生に報告しに行った。先生は「またその話か」と苦笑いしながら、「旧校舎は古いから、床が鳴ったりするんだよ」と言った。でも、私たちの顔が本気で怯えているのを見て、「まあ、今日はもう帰りなさい」と早々に帰らせてくれた。

それから数日後、文化祭の準備でまた旧校舎に行く話が出たけど、誰も行きたがらなかった。結局、先生が倉庫の機材を運んでくれたけど、そのとき先生がぽつりと漏らした言葉が忘れられない。

「実はな、旧校舎の3階、最近、夜中に電気がつくんだよ。誰もいないはずなのに」

私たちは顔を見合わせた。あの夜、足音が聞こえたのは2階の廊下だった。もし、3階に何かいるなら、私たちはまだその「何か」に近づいていなかったことになる。その考えが、なぜか一番怖かった。

それ以来、私は旧校舎には二度と近づいていない。だが、放送部の後輩たちから聞いた話では、今でも夜遅くに旧校舎の窓に、ぼんやりとした人影が見えることがあるという。そして、誰もいないはずの廊下からは、時折、「タンッ、タンッ」と足音が響くらしい。

数年後、私はその高校を卒業し、町を離れた。だが、最近、SNSで同級生と話していたとき、ふとあの夜のことが話題に上った。同級生の一人が、半分冗談でこう言った。

「そういえばさ、あの旧校舎、取り壊すって話があるらしいよ。でも、工事の人が夜中に変な音がするって、作業が進まないらしい」

私はその話を聞いて、背筋が冷たくなった。あの足音は、まだ旧校舎に残っているのかもしれない。そして、もし取り壊しが進めば、その「何か」はどこに行くのだろうか。そんなことを考えると、夜、ひとりでいるのが少し怖くなる。

今でも、静かな夜に目を閉じると、あの「タンッ、タンッ」という足音が耳に蘇る。まるで、私を追いかけてくるように。

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