廃村の夜に響く鈴の音

怪談

明治の終わり頃、福島県の山深い村に、若者たちが肝試しに訪れたことがあった。その村は、十年ほど前に疫病で全滅し、廃村となった場所だった。村の名は、口にすると不吉なことが起こるとされ、誰も呼ばなくなっていた。地元の古老たちは、村の奥にある古い祠に封じられた「何か」が、夜な夜な彷徨うと囁いていたが、若者たちはそんな話を笑いものにしていた。

その夜、月明かりも届かぬ闇の中、五人の若者が村の入り口に立った。リーダー格の男は、背が高く、普段は恐いもの知らずの態度で仲間を引っ張っていた。彼は手に提灯を持ち、「こんな廃村、ただの朽ちた家ばかりだろ」と笑いながら進んだ。仲間たちは、半ば強がり、半ば好奇心で後に続いた。村に足を踏み入れると、空気が急に重くなり、湿った土の匂いが鼻をついた。木々の間を吹く風は、まるで誰かの吐息のように感じられた。

村の中心には、苔むした石畳が続き、その先に小さな祠が見えた。祠は黒ずんだ木でできており、扉には錆びた鎖が巻かれていた。仲間の一人、気弱な少年が「ここ、なんかやばいよ。戻ろう」と震える声で言ったが、リーダーは「ビビるなよ。祠の中見て、帰るだけだ」と一蹴した。彼は鎖を力任せに引きちぎり、扉を開けた。中には、埃をかぶった小さな鈴が置かれていた。鈴は古びた赤い紐で吊るされ、触れてもいないのに、かすかに揺れているように見えた。

「ほら、何もねえじゃん」リーダーは鈴を手に取り、軽く振ってみせた。その瞬間、チリン、と澄んだ音が夜の静寂を切り裂いた。音は予想以上に大きく、村全体に響き渡るようだった。仲間たちは顔を見合わせ、誰もが背筋に冷たいものを感じた。「やめろよ、それ!」少年が叫んだが、リーダーは笑いながらもう一度鈴を振った。チリン、チリン。音が鳴るたび、空気がさらに重くなり、どこか遠くから別の音が混じり始めた。カサカサ、カサカサ。枯れ葉を踏むような、だがそれよりも不規則で不気味な音だった。

「誰かいるのか?」リーダーが提灯を掲げ、周囲を見回した。だが、闇の中には何の気配もない。仲間の一人、髪を結った娘が「何か見えた!」と指差した。石畳の先に、ぼんやりとした白い影が揺れている。影は人型だったが、足元が地面に溶け込むように不自然だった。リーダーは強がって「ただの霧だろ」と言いながら近づいたが、影はスッと消え、次の瞬間、別の場所に現れた。チリン、チリン。鈴の音がまた鳴り、影が近づいてくる。カサカサ、カサカサ。音は複数になり、まるで何かが四方から迫ってくるようだった。

「逃げよう!」少年が叫び、皆が祠を背に走り出した。だが、村の道は入り組んでおり、来た道がわからなくなっていた。提灯の火が揺れ、闇がさらに濃くなる。リーダーはまだ鈴を握りしめていたが、仲間たちに責められ、慌てて地面に投げ捨てた。だが、鈴は落ちた瞬間、チリン、と自ら鳴った。その音を合図に、闇の中から無数の白い影が現れた。影は顔がなく、ただ黒い穴のような目だけが浮かんでいた。影たちは若者たちを囲むように動き、逃げ道を塞いだ。

娘が泣きながら「ごめんなさい、ごめんなさい」と繰り返したが、影たちは反応せず、ただじりじりと近づいてくる。カサカサ、カサカサ。音は耳元で鳴り、冷たい手が首筋を撫でる感触がした。リーダーは刀を抜き、影に斬りかかったが、刀は空を切り、逆に彼の手から刀が弾き飛ばされた。「何だ、これ!?」彼の声は恐怖に震えていた。影たちは鈴の音に合わせて動いているようだった。チリン、チリン。音が鳴るたび、影の数は増え、動きが速くなった。

仲間の一人がついに倒れ、影に飲み込まれるように消えた。叫び声が響き、残った四人は必死に走った。だが、村の出口は見つからない。道はまるで生きているように曲がり、どこを走っても祠の前に戻ってくる。祠の扉は開いたまま、鈴は地面で揺れ、チリン、チリン、と鳴り続けていた。少年は「鈴を止めなきゃ!」と叫び、祠に駆け寄った。彼は鈴を手に取り、赤い紐をちぎろうとしたが、紐はまるで鉄のように硬く、指を切った。血が鈴に滴ると、チリン、という音が一際大きく響き、影たちが一斉に少年に襲いかかった。

少年の叫び声が消え、残った三人は絶望に駆られた。リーダーは「俺のせいだ」と呟き、鈴を拾い上げ、祠の中に投げ入れた。扉を閉め、鎖をかけ直したが、チリン、チリン、という音は止まなかった。音は祠の中からではなく、彼らの頭の中で響いているようだった。影たちは消えたが、代わりに村全体が揺れ始めた。地面が裂け、木々が倒れ、まるで村自体が若者たちを飲み込もうとしているかのようだった。

娘は祈るように手を合わせ、必死に神仏の名を呼んだ。その瞬間、遠くで鶏の鳴き声が聞こえ、闇が薄れ始めた。朝が来たのだ。影たちは朝日を浴びると、煙のように消え、チリン、という音も止んだ。三人はやっと村の出口を見つけ、這うようにして逃げ出した。だが、振り返ると、村は霧に包まれ、まるで最初から存在しなかったかのように消えていた。

三人は村のことを誰にも話さなかった。だが、リーダーはその後、夜な夜なチリン、チリン、という鈴の音を聞き、ついには山に姿を消した。娘は神職に仕え、祠の封印を守る役目を負った。もう一人の男は、村の話を口にすると影が現れると信じ、生涯口を閉ざした。地元の古老たちは、今でもあの廃村には近づかない。夜、風が吹くと、どこからかチリン、チリン、という鈴の音が聞こえるという。

そして、村の名を知る者は誰もいない。だが、福島の山奥で、夜道を歩くとき、鈴の音が聞こえたら、決して振り返ってはいけない。それが、生きて帰るための唯一の方法だ。

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