数十年前、栃木県の山深い峠に、小さな集落があった。そこは霧が濃く、夜になると視界が数メートル先までしか届かない場所として知られていた。地元の人々は「夜の峠には出るな」と口々に言い、子供たちはその忠告を守っていた。しかし、若者の中には、好奇心や度胸試しで峠の道を歩く者もいた。その中の一人、健太という青年の体験は、今も集落で語り継がれている。
健太は二十歳そこそこだった。都会からこの集落に引っ越してきたばかりで、地元の言い伝えや迷信を信じないタイプだった。ある夏の夜、友人と酒を飲みながら、峠の噂話で盛り上がった。友人の一人が「誰も夜の峠を越えたことがない。あそこには何かいる」と真顔で言うと、健太は笑いながら言った。「そんなのただの迷信だろ。俺が今夜、峠を歩いて証明してやるよ。」
友人は止めたが、健太の意気込みは収まらなかった。懐中電灯と小さなナイフを手に、夜の峠へと向かった。時刻はすでに深夜0時を回っていた。集落の明かりが遠ざかり、木々のざわめきと虫の声だけが聞こえる。霧は予想以上に濃く、懐中電灯の光すらぼんやりとしか届かない。健太は少し緊張しながらも、「こんなのただの霧だ」と自分に言い聞かせ、歩みを進めた。
峠の頂上に差し掛かった頃、異変に気づいた。背後から、かすかな足音が聞こえてきたのだ。カサッ、カサッ、と、誰かが枯葉を踏むような音。振り返っても、霧の向こうに何も見えない。健太は「風か何かだろ」と呟き、歩みを速めた。しかし、足音は止まなかった。それどころか、だんだんと近づいてくるように感じた。カサッ、カサッ、カサッ。リズムが一定で、まるで健太の歩調に合わせているかのようだった。
心臓が早鐘のように鳴り始めた。健太は懐中電灯を後ろに振りながら叫んだ。「誰だ!出てこいよ!」だが、返事はない。霧の奥は静寂に包まれ、ただ足音だけが続く。恐怖が背筋を這い上がり、健太は走り出した。足音もまた、追いかけるように速くなった。カサッ、カサッ、カサカサッ!まるで、すぐ背後にいるかのようだった。
どれだけ走っただろう。息が上がり、足がもつれそうになった頃、ようやく峠を下り、集落の外れにある小さな神社が見えた。健太は神社の鳥居に駆け込み、振り返った。足音はぴたりと止まり、霧の中に何も見えなかった。だが、安心する間もなく、鳥居の向こうから低い笑い声が聞こえてきた。クックックッ、という、喉の奥で響くような声。人間のものとは思えない、不気味な音だった。
健太は神社に逃げ込み、夜明けまでそこに留まった。翌朝、集落に戻った彼は、顔面蒼白で友人に昨夜の出来事を話した。友人は驚きながらも、「お前、運が良かったな。あの峠で消えた奴は何人もいるんだ」と呟いた。健太はそれ以来、夜の外出を控えるようになったが、時折、夢の中であの足音と笑い声を聞くことがあった。
それから数年後、健太は集落を離れたが、峠の噂はさらに広がった。ある者は、霧の中に人影を見たと言い、別の者は、足音と共に子供の泣き声を聞いたと語った。地元の古老は「あの峠は、昔、戦で死んだ者たちの魂が彷徨う場所だ」と話す。戦国時代、この峠は多くの戦士が命を落とした場所だったという。怨念が霧となって留まり、夜な夜な彷徨う者を追いかけると。
今でも、栃木県のその峠を訪れる者は少ない。地元の人々は、夜に車で通る際も、決して窓を開けない。なぜなら、霧の向こうから聞こえる足音が、今もどこかで響いているからだ。
健太の体験は、集落の若者たちの間で語り継がれ、いつしか「霧の峠の呪い」として知られるようになった。誰もが口を揃えて言う。「あの峠には、決して近づくな。夜ならなおさらだ。」
それでも、好奇心旺盛な若者や、心霊スポットを求める者たちが、時折、峠を訪れることがある。彼らが帰ってくる時、誰もが同じことを言う。「霧の中に、何かいる。」そして、その「何か」は、決して姿を見せない。ただ、足音だけが、背後から追いかけてくるのだ。
今も、霧の深い夜、峠の道を歩く者はいない。だが、風のない静かな夜には、遠くからカサッ、カサッ、という音が聞こえるという。あなたがもし、栃木の山奥を訪れることがあれば、夜の峠だけは避けた方がいい。なぜなら、霧の向こうで待っているのは、人間ではないかもしれないから。