佐世保の街から少し外れた山間部に、忘れ去られた廃墟がある。地元では「旧病院」と呼ばれ、数十年前に閉鎖されて以来、誰も近づかない場所だ。かつては地域の医療を支えた施設だったが、原因不明の事故や患者の不審な死が続き、閉鎖に至ったという噂が絶えない。現代の若者たちの間では、肝試しのスポットとして密かに知られていたが、誰もが「何かいる」と感じ、戻ってくる者は少ない。
私もその話を大学の友人から聞いた。夏休みのある夜、仲間内で盛り上がり、半ば冗談でその廃墟に行くことになった。メンバーは私を含めて五人。リーダー格の陽気な男、いつも冷静な女友達、怖がりだが好奇心旺盛な後輩二人だ。車を借り、夜の山道を登りながら、冗談を飛ばし合って緊張を紛らわせていた。
廃墟に着いたのは深夜一時頃。コンクリートの壁は苔に覆われ、割れた窓ガラスが月光を不気味に反射していた。懐中電灯の光で照らすと、錆びた看板に「〇〇病院」とかすれた文字が見えた。入り口のドアは半開きで、風もないのに軋む音が響く。私たちは互いに顔を見合わせ、気を取り直して中へ踏み込んだ。
内部は荒れ果てていた。床にはガラス片や古い書類が散乱し、壁には落書きが無数に刻まれている。空気は湿気とカビの臭いで重く、どこか生臭い匂いが混じっていた。「これ、ただの廃墟じゃないね」と冷静な女友達が呟いたが、誰も返事をしなかった。進むにつれ、足音だけが虚しく響く。
一階を軽く探索した後、肝試しの定番として最上階を目指すことにした。階段は狭く、鉄の手すりが冷たく手に張り付くようだった。三階に差し掛かった時、突然後輩の一人が「何か聞こえた」と震え声で言った。全員が立ち止まり、耳を澄ます。確かに、遠くから微かな音が聞こえる。人の呻き声のような、獣の唸り声のような、不気味な音だ。
「ただの風だろ」とリーダーが笑って誤魔化したものの、誰もが不安を隠せなかった。それでも意地を張って最上階にたどり着いた。そこは広い病棟だった。ベッドのフレームが錆びつき、点滴スタンドが倒れたまま放置されている。窓から差し込む月光が、埃の舞う空間を白く照らしていた。
「ここで写真撮ろうぜ」とリーダーが提案し、スマホを構えた。その瞬間、フラッシュが光り、病棟の奥に何かが見えた。一瞬だったが、確かにそこに「何か」がいた。人間の形をしていたが、頭部が不自然に長く、腕が異様に伸びている。影のように黒く、目だけが赤く光っていた。全員が凍りつき、誰も声を上げられなかった。
「見えた…よね?」と後輩が震えながら呟いた。次の瞬間、病棟の奥からドスンという重い音が響き、床が揺れた。続いて、ガリガリと爪で壁を引っかくような音が近づいてくる。「逃げろ!」リーダーの叫び声で我に返り、階段を駆け下りた。背後では、明らかに人間ではない足音が追いかけてくる。ドタドタと重く、不規則なリズムで迫ってくるのだ。
一階にたどり着いた時、冷静だった女友達が転倒した。彼女の足首に、黒い手のようなものが絡みついているのが見えた。「助けて!」と叫ぶ彼女を、リーダーが無理やり引きずって脱出した。車に飛び乗り、エンジンをかけるまでの数秒が永遠に感じられた。後部座席から振り返ると、廃墟の窓に赤い目がいくつも光っているのが見えた。
街に戻るまで、誰も一言も発しなかった。車内の空気は凍りつき、女友達は泣きながら足首をさすっていた。彼女の足には、まるで火傷のような赤い痕が残っていた。翌日、彼女は高熱を出し、数日間寝込んだ。その後も、彼女は夜中に「あの音」が聞こえると怯えるようになった。
後日、廃墟のことを調べるため、地元の古老に話を聞いた。すると、旧病院では戦時中、秘密裏に人体実験が行われていたという噂があった。実験の失敗で生まれた「何か」が、閉鎖後も建物に棲みつき、訪れる者を襲うのだという。「あの場所には、決して近づいてはいけない」と、古老は真剣な目で警告した。
それ以来、私たちは二度と廃墟に近づかなかった。だが、時折、佐世保の山間部をドライブする際、遠くに廃墟のシルエットが見えることがある。そのたびに、赤い目がこちらをじっと見ているような気がして、背筋が凍る。あの夜、私たちが持ち帰ったのは、恐怖の記憶だけではなかったのかもしれない。
今でも、佐世保の街で奇妙な話を耳にすることがある。廃墟に近づいた若者が行方不明になったり、夜中に不気味な足音を聞いたという証言だ。地元の人々は口を揃えて言う。「あの廃墟には、決して踏み込んではならない」と。
私たちの体験は、ただの肝試しの失敗ではなかった。あの廃墟には、確かに「何か」がいる。そして、それは私たちを見逃したわけではないのかもしれない。