奈良の森に潜む異形の影

SFホラー

2015年の夏、奈良県の山深い村に住む高校生の翔太は、夏休みの自由研究のために、地元の古い神社を訪れた。奈良の山間部は、鬱蒼とした森に覆われ、昼間でも薄暗い場所が多い。その神社は村の外れ、苔むした石段を登った先にあり、普段はほとんど人が訪れない。翔太は歴史好きで、特に地元の伝承に興味があった。彼はカメラとノートを手に、境内を探索し始めた。

神社は古びた木造の社殿と、風化した石碑が並ぶ寂れた場所だった。だが、翔太の目を引いたのは、社殿の裏にひっそりと佇む小さな祠だった。祠の扉は錆びた鎖で固く閉ざされ、表面には奇妙な模様が刻まれていた。それは、円形の中に無数の目のような形が絡み合う、不気味な紋様だった。翔太は好奇心に駆られ、カメラでその模様を撮影した。シャッター音が森に響き、どこか遠くで鳥が飛び立つ音がした。

その夜、翔太は自宅の部屋で撮影した写真を確認していた。祠の写真を拡大すると、模様の中に何か異様なものが映り込んでいることに気づいた。目のような形の一つが、まるでこちらを見つめているかのように、黒く光っていた。単なる光の反射だと思い込もうとしたが、胸の奥に冷たい不安が広がった。夜が更けるにつれ、部屋の空気が重く感じられ、窓の外から微かな囁き声のような音が聞こえてきた。風の音だと自分を納得させたが、眠りにつくのは難しかった。

翌日、翔太は地元の古老に祠について尋ねた。古老は顔を曇らせ、「あの祠には触れるな」と警告した。古老の話では、数十年前、村に奇妙な病が流行ったことがあった。感染した者は高熱にうなされ、目に見えないものに怯え、夜な夜な森へ消えていったという。その病の原因は、祠に封じられた「何か」に関係していると噂されていた。祠の紋様は、村の外から来た科学者たちが「未知の物質」と関連があると調査していたが、彼らもまた行方不明になり、調査は中断されたままだった。

翔太は半信半疑だったが、好奇心が恐怖を上回り、再び神社へ向かった。祠の前に立つと、昨日は気づかなかった異臭が漂っていた。腐臭とも薬品臭とも異なる、形容しがたい匂いだった。祠の鎖をよく見ると、錆びているはずなのに、触れると冷たく、まるで生きているかのように脈打っているように感じた。翔太は我慢できず、近くに落ちていた石で鎖を叩き始めた。すると、祠の扉がわずかに開き、中から黒い霧のようなものが漏れ出した。

霧はゆっくりと翔太の足元に広がり、冷たく粘つく感触が肌を這った。慌てて後ずさった瞬間、霧の中から無数の目が浮かび上がり、彼を見つめた。目は人間のものではなく、昆虫のような複眼だった。翔太は悲鳴を上げ、森を駆け下りた。背後からは、地面を這うような不気味な音が追いかけてきた。家にたどり着いた時、息が切れ、心臓が破裂しそうだった。

それから、翔太の周りで奇妙な出来事が続いた。夜になると、窓の外に人影のようなものが立つようになった。だが、近づくと影は消え、代わりにあの異臭が漂った。翔太の夢には、祠の紋様と同じ目が現れ、囁き声が彼の名前を呼んだ。声は次第に明確になり、「お前が開けた」「お前が選ばれた」と繰り返した。翔太は恐怖に耐えかね、祠を封じ直すために神社に戻る決意をした。

友人の美咲を連れて、翔太は再び森へ向かった。美咲は翔太の話を信じていなかったが、彼の怯えた様子に同情し、付き合うことにした。二人は懐中電灯とロープ、塩を持参し、夜の神社に足を踏み入れた。祠の前には、依然としてあの黒い霧が漂っていた。翔太は塩を撒き、祠の扉を閉めようとしたが、霧が突然動き出し、美咲の体に絡みついた。美咲は叫び声を上げ、目に見えない力に引きずられるように森の奥へ消えた。

翔太は必死で美咲を追いかけたが、森はまるで迷路のように道が歪み、方向感覚を失った。どこからか聞こえる美咲の叫び声は、徐々に人間のものとは思えない音に変わっていった。やっと見つけた美咲は、森の奥の開けた場所に立っていた。だが、彼女の目は白く濁り、口から黒い液体が滴っていた。彼女は翔太に微笑みかけ、「一緒に見よう」と囁いた。その瞬間、彼女の背後から巨大な影が現れた。それは無数の目と触手を持つ、形のない怪物だった。

翔太は恐怖で動けなかった。怪物は彼に近づき、触手が彼の体を這った。冷たく、ぬめり、まるで意識を持っているかのようだった。怪物が発する声は、頭の中で直接響き、「お前は我々の窓を開けた」と告げた。翔太の意識はそこで途切れた。

目が覚めた時、翔太は自分の部屋のベッドにいた。夢だったのかと思ったが、体中に異臭が染みつき、腕には無数の小さな傷が残っていた。美咲は行方不明のままだった。警察は森を捜索したが、何も見つからなかった。祠は依然としてそこにあったが、鎖は新しく、まるで何事もなかったかのように静かだった。

それから10年、翔太は村を離れ、都会で暮らしている。だが、夜になるとあの目が夢に現れ、囁き声が耳元で響く。彼は決して奈良の森には戻らないと誓ったが、最近、都会の自宅の窓に、祠の紋様と同じ模様が浮かんでいるのを見た。夜が来るたび、異臭が強くなり、翔太は確信している。あの怪物はまだ彼を追っているのだ。

誰も信じない。だが、奈良の森には何かいる。科学では説明できない、異形の存在が。

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