約10年前、福井県の山深い集落に住む私の叔父が、ある夏の夜に奇妙な話を聞かせてくれた。それは、集落の外れにある古い祠にまつわる話だった。叔父は普段、冗談好きで明るい性格だが、その夜の彼はどこか神妙な顔つきだった。以下はその話を、私が記憶を頼りに再構築したものだ。だが、話すほどに、あの時の叔父の目に見えた恐怖が、私の背筋を凍らせる。
叔父は若い頃、集落の仲間たちと肝試しでその祠へ行ったことがあると言った。祠は山の斜面にひっそりと佇み、苔むした石段を登った先にあった。地元では「触れてはいけない場所」とされ、子供の頃から近づくなと親にきつく言われていた。祠の周囲には異様な静けさが漂い、鳥のさえずりすら聞こえない。だが、若気の至りで、叔父を含む5人の若者は、酒の勢いもあって祠に忍び込んだ。
祠の中は狭く、埃っぽい空気が漂っていた。中央には木製の小さな仏像が安置され、その目はまるで生きているかのように彼らを見つめていた。仲間の一人がふざけて仏像に触れようとした瞬間、突然、祠の外から低い唸り声のような音が響いた。風もないのに、祠の木戸がガタガタと揺れ、皆は凍りついた。叔父は「あれは人間の声じゃなかった」と、今でも断言する。その声は、まるで地面の下から這い上がってくるような、怨念に満ちた響きだった。
慌てて祠を飛び出した彼らは、暗闇の中を必死に逃げ帰った。だが、その夜から、仲間たちに異変が起こり始めた。最初に異変を訴えたのは、仏像に触れようとした男だった。彼は毎夜、夢の中で祠の仏像が自分を睨みつけ、耳元で囁く声を聞くようになった。囁きは意味不明な言葉の羅列だったが、聞くたびに体が重くなり、まるで何かに取り憑かれたようにやつれていった。数週間後、彼は突然姿を消した。家族は警察に届け出たが、結局見つからなかった。集落の古老は「あの祠の呪いだ」と囁き、誰も口を揃えてその話題を避けた。
他の仲間たちも、次々と不思議な体験に襲われた。一人は夜道で、背後から足音が聞こえるのに振り向いても誰もいないと言い、もう一人は自分の影が妙に長く、動くたびに不自然に揺れると怯えていた。叔父自身も、ある夜、家の窓の外で何かがじっと自分を見ている気配を感じた。カーテンを開けると、そこには誰もいなかったが、窓ガラスに映る自分の顔が、どこか歪んで見えたという。
叔父は恐怖に耐えかね、集落の神主に相談しに行った。神主は顔を青ざめさせ、「あの�祠は、かつてこの地で起きた悲劇を封じるために建てられたものだ」と語った。数百年前、集落で疫病が流行り、多くの命が失われた。その怨念を鎮めるため、祠に強力な呪術が施されたが、同時に「決して祠を穢してはならない」という掟があった。穢せば、祠に封じられた怨霊が解き放たれ、触れた者を呪うのだという。
神主は叔父たちに、祠に戻り、謝罪の儀式を行うよう命じた。だが、仲間たちは恐怖でバラバラになり、誰も祠に戻る勇気を持てなかった。叔父だけが、藁にもすがる思いで祠に向かった。夜の山道を一人で歩く叔父の背後では、ずっと何かの気配がまとわりついていた。祠に着いた時、彼は持参した塩と酒を供え、必死に祈った。すると、急に風が吹き荒れ、祠の奥から再びあの唸り声が聞こえた。叔父は恐怖で気を失いそうになりながらも、なんとか家にたどり着いた。
その後、叔父の周囲での怪奇現象は少しずつ収まったが、完全に消えることはなかった。彼は今でも、時折、夜中に目が覚め、耳元で囁く声を聞くことがあるという。仲間たちの消息は誰も知らず、叔父は「あの夜、俺たちが何かを取り返しのつかないものに触れた」と後悔の念を口にする。
この話を聞いてから、私自身も妙な感覚に囚われるようになった。叔父の家に泊まった夜、ふと目が覚めると、部屋の隅に黒い影が立っている気がした。慌てて電気をつけたが、そこには何もなかった。ただ、窓の外から、かすかに唸るような音が聞こえた気がして、背筋が凍った。それ以来、私は叔父の家に近づくのを避けている。だが、福井の山奥を通るたび、あの祠の存在が頭をよぎり、知らず知らずのうちに車を急がせてしまう。
この話は、叔父から聞いたままのものだ。だが、集落の古老たちが今も口を閉ざす理由や、祠が今もひっそりと山に佇む事実は、私の心に重くのしかかる。あの祠は、今も誰かを呪い続けているのかもしれない。そして、もしあなたが福井の山奥で、苔むした石段を見つけたなら、決して登らないでほしい。そこには、触れてはいけない何かが、確かに潜んでいるのだから。