廃神社に響く鈴の音

実話風

1990年代半ば、長崎の山奥に住む私は、祖父から奇妙な話を聞かされていた。村の外れにある古い神社、誰も近づかない場所だ。そこはかつて村の守り神を祀っていたが、ある事件をきっかけに封鎖され、以来、誰も足を踏み入れなくなったという。祖父は詳しいことは語らず、ただ「夜に鈴の音が聞こえたら、絶対に近づくな」と繰り返すだけだった。

私には幼馴染のユキがいた。彼女は好奇心旺盛で、怖い話や冒険が大好きだった。ある夏の夜、ユキが私の家にやってきて、目を輝かせながら言った。「ねえ、あの神社に行ってみない?」私は祖父の警告を思い出したが、ユキの熱意に押され、つい「行ってみようか」と答えてしまった。今思えば、あの瞬間がすべての始まりだった。

夜の11時を過ぎ、村は静まり返っていた。私とユキは懐中電灯を手に、雑草が生い茂る山道を進んだ。夏の夜なのに、どこか空気が冷たく、虫の声すら聞こえない。神社の入り口には朽ちかけた鳥居が立っていて、苔むした石段が奥へと続いていた。ユキは興奮気味に「ほら、怖くないじゃん!」と笑ったが、私は胸騒ぎを抑えきれなかった。

石段を登りきると、社の前にたどり着いた。建物は古び、屋根には穴が開き、まるで時間が止まったかのようだった。社の周囲には不気味な静けさが漂い、懐中電灯の光が闇を切り裂くたびに、影が不自然に揺れる気がした。ユキは社の扉に手をかけ、「中を見てみようよ」と囁いた。私は止めたかったが、彼女はすでに扉を開けていた。

中は埃っぽく、祭壇には古い鈴が置かれていた。ユキが近づくと、突然、鈴が小さく鳴った。風もないのに。「ねえ、聞こえた?」ユキの声が震えていた。私は「気のせいだよ」と強がったが、心臓が早鐘を打っていた。その時、背後でカサッと音がした。振り返ると、誰もいない。だが、明らかに何かが動いた気配があった。

「帰ろう、ユキ」私は必死で彼女の手を引いたが、ユキは「もう少しだけ」と言い、祭壇の奥に目をやった。そこには古い木箱があった。ユキが箱に手を伸ばした瞬間、鈴が再び鳴り響いた。今度ははっきりと、甲高い音が社全体に響き渡った。私は凍りつき、ユキの手を強く握った。「やめろ!触るな!」

だが、ユキは私の制止を無視し、箱を開けた。中には古い人形が収められていた。髪は乱れ、着物は色あせ、目はこちらをじっと見つめているようだった。ユキが人形を手に取った瞬間、社の空気が一変した。冷たい風が吹き込み、懐中電灯がチカチカと点滅を始めた。鈴の音が止まず、まるで警告するかのように鳴り続けていた。

「ユキ、置け!」私は叫んだが、ユキは人形を握りしめたまま動かなかった。彼女の目が虚ろになり、唇が小さく動いている。「…来る…来る…」彼女の囁きが聞こえた瞬間、社の奥から足音が響いた。トン、トン、トン。ゆっくりと、だが確実に近づいてくる。私はユキの手を引き、社の外へ飛び出した。

石段を駆け下りる間、背後で鈴の音が追いかけてくるようだった。振り返る勇気はなかったが、背中に冷たい視線を感じた。村に戻るまで、どれだけ走ったかわからない。家にたどり着いた時、ユキはまだ人形を握りしめていた。私は無理やり彼女の手から人形を奪い、庭の焚き火に投げ込んだ。炎が人形を包み込むと、まるで悲鳴のような音が響いた気がした。

翌朝、ユキは高熱を出して寝込んでいた。彼女の両親は医者を呼んだが、原因はわからない。ユキは時折、うわ言で「鈴が…まだ鳴ってる…」と呟いた。私は怖くなり、祖父にすべてを話した。祖父の顔は青ざめ、「あの神社は呪われている。あの人形は、封じられたものを繋ぐ依り代だ」とだけ言った。そして、私に神社には二度と近づかないよう念を押した。

ユキは数日後、回復したが、以前の明るさは失われていた。彼女はあの夜のことをほとんど覚えていないと言い、ただ「鈴の音だけは覚えてる」と呟いた。それ以来、彼女は神社や怖い話に興味を示さなくなった。私もまた、あの場所には近づいていない。

それから数年後、村の古老から神社の過去を聞いた。30年以上前、村で不可解な失踪事件が相次ぎ、その原因が神社に祀られていた「何か」にあるとされた。村人たちは神職に頼み、霊を人形に封じ、社を閉ざしたのだという。だが、封印は完全ではなかった。鈴の音は、封じられたものがまだそこにいる証だった。

今でも、夜が深まると、遠くから鈴の音が聞こえる気がする。あの神社がまだそこにあり、何かが私たちを見ているような感覚が消えない。ユキとは今も連絡を取るが、あの夜の話は決してしない。彼女の目には、時折、あの虚ろな表情がよぎるからだ。

村を出てからも、私はあの鈴の音を忘れられない。長崎の山奥、あの神社は今もひっそりと佇んでいる。誰かがまた、好奇心に駆られて近づくかもしれない。その時、鈴の音が再び響き、何かが目を覚ますのだろう。

タイトルとURLをコピーしました