宵闇の湖畔に潜む影

妖怪

20年ほど前、島根県の山奥にある湖のほとりで、私は人生で最も恐ろしい体験をした。その頃、私は大学を卒業したばかりで、地元で小さな会社に勤め始めたばかりだった。仕事のストレスから逃れるため、週末にはよく一人で車を走らせ、県内の静かな場所を訪れていた。ある秋の夕暮れ、友人から聞いた湖畔のキャンプ場に向かった。そこは観光地化されておらず、地元の人々が釣りや散歩を楽しむ、ひっそりとした場所だった。

湖は山々に囲まれ、夕陽が水面に映るとまるで血のように赤く染まる。それがまた幻想的で、カメラを手に散策するには最適な場所だった。キャンプ場に着いたのは夕方5時頃。秋の日は短く、すでに空は薄暗くなり始めていた。テントを張り、簡単な夕食を済ませた後、湖畔を少し歩こうと懐中電灯を手に持った。湖の周りは静寂に包まれ、時折、風が木々を揺らす音や、遠くで鳥が鳴く声が聞こえるだけだった。

歩いていると、湖の対岸に何か光るものが見えた。最初は釣り人のランタンかと思ったが、よく見るとその光は不自然に揺れ、まるで水面を滑るように動いている。好奇心が勝った私は、懐中電灯を手にその方向へ近づいた。光は次第に大きくなり、まるで人の形をしているように見えた。だが、普通の人間ではない。背が高く、異様に細長い影が水面に映り、まるでそこに立っているかのようだった。

「誰かいるのか?」と声をかけると、光はピタリと止まった。次の瞬間、湖の水面が不気味に波立ち、冷たい風が私の頬を撫でた。背筋に寒気が走り、急にここにいるべきではないという感覚に襲われた。懐中電灯を向けると、影は消えていた。だが、安心する間もなく、背後からガサッと音がした。振り返ると、そこには誰もいない。ただ、木々の間に黒い影が揺れているように見えた。

急いでテントに戻り、寝袋に潜り込んだが、眠れるはずもなかった。夜が深まるにつれ、テントの外から奇妙な音が聞こえてきた。最初は風の音かと思ったが、それはまるで誰かが湖の周りをぐるぐると歩き回っているような、規則的な足音だった。時折、低い呻き声のようなものが混じる。心臓がバクバクと鳴り、懐中電灯を握りしめたまま朝を待った。

翌朝、明るくなった湖畔を改めて見回したが、足跡一つなかった。地元の人にこの話をすると、顔色を変えてこう言った。「あの湖には昔から『水の影』が出るって話があるよ。見ちゃった人は、たいてい何か悪いことが起きるんだ…」

それから数週間後、私は原因不明の高熱で倒れ、1ヶ月近く入院した。医者にはストレスが原因だと言われたが、私はあの湖畔で見た影が関係しているとしか思えなかった。あれ以来、私は二度とその湖に近づいていない。だが、今でもふとした瞬間に、あの細長い影が水面に揺れる姿が脳裏に浮かぶ。そして、背後で聞こえたあの足音が、まるでまだ私を追いかけているかのように感じるのだ。

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