10年前の夏、俺は大学時代の友人たちと三重県の山奥にある集落を訪れていた。
その集落は、過疎化が進み、ほとんどの家が空き家になっていた。俺たち4人は、夏休みの冒険心から、ネットで噂になっていた「廃神社」を探しに行くことにした。地図アプリも役に立たないような山道を、軽い気持ちで進んでいたんだ。
夕暮れ時、ようやく見つけた神社は、想像以上に荒れ果てていた。鳥居は苔に覆われ、参道は雑草で埋もれている。社殿は傾き、屋根には穴が空いていた。空気はどこか重く、鳥のさえずりすら聞こえない。友人の一人、陽気な性格のタケシが「こんなとこ、幽霊出てもおかしくねえな!」と笑いながら言ったけど、誰もが少し緊張していた。
境内を歩いていると、俺はふと異様な感覚に襲われた。背筋に冷たいものが走るような、誰かに見られているような感覚だ。振り返っても誰もいない。ただ、風もないのに木々がざわざわと揺れている気がした。仲間の一人、ミサキが「なんか…変な感じしない?」と小声で言った瞬間、タケシが「ほら、あそこ!」と指差した。
社殿の裏、薄暗い木々の間に、白い影が揺れている。最初は木の葉が光を反射しただけかと思った。でも、その影はゆっくりと動いていた。まるで人の形をしていた。俺たちは息を吞み、動けなくなった。タケシだけが「なんだよ、ただの布か何かだろ!」と強がって近づこうとしたけど、ミサキが慌てて腕を掴んだ。「やめなよ、なんかヤバいって…!」
その時、影が急に動いた。スッと消えたかと思うと、今度は社殿の中から低い呻き声のような音が聞こえてきた。「うぅ…うぅ…」まるで誰かが泣いているような、でも人間の声とはどこか違う、ぞっとする音だった。俺の心臓はバクバクと鳴り、足が震えた。冷静な性格のユウジが「ここ、なんかおかしい。すぐ出よう」と囁いたけど、タケシはまだ強がって「こんなんでビビってんのかよ!」と言いながら社殿に近づいた。
タケシが社殿の扉に手をかけようとした瞬間、突然、けたたましい女の叫び声が響いた。「やめなさい!」――その声は、まるで頭の中に直接響くようだった。俺たちは一斉に悲鳴を上げ、反射的に後ずさった。タケシさえも真っ青になって後退した。叫び声は一瞬で消え、辺りは再び静寂に包まれた。でも、その静けさが余計に恐ろしかった。
「帰ろう、いますぐ!」ミサキが泣きそうな声で言った。誰も反対せず、来た道を急いで戻り始めた。だが、参道を下る途中、俺はまたあの感覚に襲われた。背後から、誰かが――いや、何かがついてくる。足音はないのに、気配がどんどん近づいてくる。振り返る勇気はなかった。仲間たちも同じものを感じたのか、誰も喋らず、ただひたすら走った。
ようやく集落の入口まで戻ったとき、俺は思わず振り返ってしまった。そこには、誰もいなかった。でも、遠くの山の稜線に、白い影が立っているように見えた。一瞬だったけど、間違いなく女の形だった。長い髪が風に揺れ、こちらをじっと見ているような気がした。
その夜、集落の民宿で泊まったけど、誰も眠れなかった。ミサキは「もう二度とあんなとこ行かない」と震えながら言った。タケシもいつもの調子がなく、黙り込んでいた。ユウジが「なんか、調べた方がいいんじゃないか」と提案し、翌日、集落の古老に話を聞いてみることにした。
古老は、廃神社の話をすると顔を曇らせた。「あそこは、昔、村の娘が身投げした場所だ。恋人に裏切られて、祟り神になるって言いながら死んだらしい。それから、夜な夜な泣き声が聞こえるって話だよ」と教えてくれた。さらに、「あの神社は、村人が近づかないように封じた場所だ。よそ者が入ると、祟られることもある」と付け加えた。俺たちは背筋が凍り、言葉を失った。
それから数日後、俺たちは大学に戻ったけど、タケシの様子がおかしくなっていった。いつも陽気だった彼が、夜中にうなされるようになった。ある夜、俺がタケシの部屋に泊まりに行くと、彼が突然起き上がり、「あいつが…呼んでる…」と呟いた。目が虚ろで、まるで別人のようだった。俺は怖くなり、すぐにユウジとミサキを呼んだ。タケシは病院に連れて行かれたが、医者は「過度のストレス」としか診断しなかった。
それから、タケシは大学を辞め、実家に帰った。連絡も途絶え、俺たちは彼のその後を知らない。ただ、ミサキが後日、ネットで似たような体験談を見つけたと言っていた。同じ神社で、白い影を見たとか、叫び声を聞いたとかいう話がちらほらあった。でも、どれも曖昧で、誰もその神社の正確な場所は知らないようだった。
あれから10年、俺はあの日のことを今でも鮮明に覚えている。時折、夜中に目が覚めると、あの哭き声が耳に蘇る。現実だったのか、幻だったのか、今でもわからない。でも、あの廃神社には二度と近づかないと、心に誓っている。
最近、ミサキから連絡があった。彼女はあの集落の近くで、別の廃墟探索の噂を聞いたらしい。「また行ってみない?」と冗談めかして言われたけど、俺は即座に断った。あの場所には、何か得体の知れないものがいる。それだけは確信している。