廃トンネルの囁き

ホラー

夜の国道は静かだった。車のヘッドライトが、霧に滲むように照らすアスファルトの道。俺は、大学からの帰り道、三重県の山間部を抜けるいつものルートを走っていた。時計は夜の11時を回り、助手席には誰もいない。ラジオも雑音ばかりで、結局電源を切った。窓の外は真っ暗で、時折、木々の間から月光がちらつくだけだ。

この道には、古いトンネルがある。地元じゃ『廃トンネル』なんて呼ばれてるけど、正式な名前は誰も覚えてない。新しいバイパスができた今、ほとんど使われていない。トンネルの入り口は苔むしていて、コンクリートはひび割れ、まるで時間がそこだけ止まったみたいだ。子供の頃、近所の爺さんから「夜にあのトンネルを通ると、変な声が聞こえる」と脅されたのを覚えてる。まぁ、ガキの頃の話だ。今はそんなの信じない。

でも、その夜、俺はなぜかそのトンネルの前で車を停めた。理由は自分でもわからない。エンジンの音が消えると、静寂が耳に刺さる。虫の声すら聞こえない。なんだこの感じ、と思った瞬間、トンネルの奥から何か音がした。低く、くぐもった、まるで誰かが呻いているような音。ゾクッと背筋が冷えたけど、好奇心が勝った。懐中電灯を手に、車を降りてトンネルに近づいた。

トンネルの中は、湿気とカビの匂いが充満していた。懐中電灯の光が、コンクリートの壁に反射して、不気味な影を映し出す。歩くたびに、靴音がこだまする。音は、さっきよりはっきり聞こえた。呻き声じゃない。誰かが、囁いてる。女の声だ。言葉は聞き取れないけど、切なそうで、どこか怨めしい。俺の心臓はバクバク鳴ってたけど、足は勝手に奥へ進む。

「誰だ!?」思わず叫んだ。声はトンネルに反響して、まるで何人もの俺が叫んだみたいに返ってきた。すると、囁きがピタリと止んだ。静寂が重くのしかかる。ヤバい、と思った瞬間、背後でガサッと音がした。振り返ると、誰もいない。懐中電灯の光が揺れて、壁に変な影が映った。人の形…いや、人の形じゃない。頭が異様に長く、腕がだらんと伸びてる。影は一瞬で消えたけど、俺の背中は汗でびっしょりだった。

逃げなきゃ、と思った。でも、足が動かない。まるで何かにつかまれてるみたいに。すると、また囁きが始まった。今度は、はっきり言葉が聞こえた。「…なんで…ここに…来た…?」背後から、すぐ耳元で。振り返る勇気なんてなかった。首筋に冷たい息がかかるような感覚。心臓が止まりそうだった。やっとの思いで足を動かし、走って車に戻った。エンジンをかけ、アクセルを踏み込む。トンネルが遠ざかるにつれ、ようやく息ができるようになった。

家に帰ってからも、頭の中にあの声がこびりついて離れない。次の日、大学の友人に話したら、そいつが妙な顔をした。「あのトンネル、昔、事故があったって話だよ。女の人が、夜中に車で突っ込んで…死んだって。地元じゃ、幽霊が出るって有名だぜ」って。笑いものだと思ったけど、俺の背中はまた冷や汗で濡れた。

それから一週間、毎晩、夢であのトンネルに立つ。女の声が、耳元で囁く。「…なんで…来た…?」目が覚めると、部屋が妙に冷たい。カーテンが揺れてる気がするけど、窓は閉まってる。ある夜、ふと目を覚ますと、枕元に長い髪の毛が落ちてた。俺のじゃない。黒く、湿った、長い髪。あのトンネルの匂いがした。

今でも、夜に車を運転するとき、あのトンネルを避けて遠回りしてる。でも、たまに、バックミラーに映る暗闇の中で、誰かが立ってる気がする。振り返ると、誰もいない。でも、耳元で、かすかに囁き声がするんだ。「…また…来て…」

俺は、もう二度とあのトンネルには近づかない。いや、近づけない。あの声が、俺を呼んでる気がして、怖くて仕方ないんだ。

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