霧島の山奥、深い森に囲まれた小さな集落があった。数十年前、そこで暮らす人々は、夜になると決して外に出なかった。理由は誰も口にしない。ただ、古くから伝わる言い伝えがあった。「霧が濃くなる夜、山の奥から光が漏れる。その光を見た者は、二度と帰ってこない」。
集落に住む少年は、好奇心旺盛な15歳だった。都会から越してきたばかりで、村の暗い雰囲気や大人たちの沈黙に苛立ちを覚えていた。ある晩、少年は親友の少女と一緒に、禁じられた森の奥へ足を踏み入れることにした。「ただの迷信さ。光なんて、誰かが焚き火でもしてるんだろ」。少女は気乗りしない様子だったが、少年の勢いに押され、懐中電灯を手に森へ向かった。
霧島の森は、昼間でも薄暗いほど木々が密集していた。夜になると、霧が地面を這うように漂い、懐中電灯の光すら飲み込むような闇が広がっていた。二人は手をつなぎ、足元を照らしながら進んだ。少女の小さな声が震える。「ねえ、ほんとに大丈夫かな…」。少年は笑って答えた。「怖がるなよ。何かあったら俺が守ってやる」。だが、心のどこかで、彼自身も不安を感じ始めていた。
しばらく歩くと、遠くに微かな光が見えた。青白く、まるで蛍のような光が、木々の隙間から揺らめいている。少年の心臓が早鐘を打った。「ほら、あれだ!やっぱりただの光だろ!」。少女は立ち止まり、少年の手を強く握った。「…何か変だよ。あの光、動いてる」。確かに、光は静かに揺れながら、まるで意志を持っているかのようにゆっくりと近づいてきていた。
二人は息を殺して光を見つめた。光は次第に大きく、はっきりと輪郭を帯び始めた。それは、ただの光ではなかった。球体のような形をし、表面には無数の細かな模様が浮かんでいた。模様は脈動するように動いており、まるで生きているかのようだった。少年は恐怖と好奇心の間で揺れ、思わず一歩近づいた。その瞬間、光が急に動き、二人を包み込むように広がった。
目を開けると、そこは森ではなかった。薄暗い空間に、金属のような壁が広がり、遠くから低いうなり音が響いていた。少年と少女は呆然と立ち尽くした。足元には、見たこともない文字が刻まれた円形の台座が光っていた。「ここ、どこ…?」。少女の声が震える。少年は答えられなかった。代わりに、彼の視線は部屋の奥に固定された。そこには、人影のようなものが立っていた。
いや、人影ではなかった。それは人間の形をしていたが、肌は金属のように滑らかで、目は光を放っていた。ゆっくりと近づいてくるその姿に、少女は悲鳴を上げ、少年は彼女を庇うように前に出た。「何だ、お前は!」。叫んだ声は虚しく響き、相手は無言で手を伸ばしてきた。その手が触れた瞬間、少年の頭に膨大な情報が流れ込んできた。言葉にならないイメージ、音、感覚。星々の間を移動する巨大な構造物、果てしない闇、そして人間のものではない意識。
気がつくと、二人は森の入り口に倒れていた。懐中電灯は壊れ、夜明けの薄光が霧を照らしていた。少女は泣きながら少年にしがみつき、少年は放心状態で空を見上げた。あの光、あの空間、あの存在。全てが現実だったのか、夢だったのか。だが、少年の腕には、奇妙な模様が刻まれていた。光の球体に浮かんでいたものと同じ、脈動するような模様。
集落に戻った二人は、決してその夜のことを口にしなかった。だが、少年の様子は変わった。夜になると、窓の外をじっと見つめ、時折、独り言のように呟いた。「また来る…あいつらはまだ終わってない」。少女はそんな少年を遠くから見つめ、恐怖に震えた。彼女の目には、少年の背後に、青白い光が揺らめいているように見えた。
それから数年、集落では奇妙な出来事が続いた。霧の深い夜、森の奥から光が漏れ、行方不明者が増えた。誰もが口を閉ざし、ただ怯えて暮らした。そして、ある夜、少年は忽然と姿を消した。少女は彼を探しに森へ向かったが、彼女もまた帰ってこなかった。集落の人々は、口々に囁いた。「あの光に呼ばれたんだ…」。
今も、霧島の森の奥では、霧が濃くなる夜、青白い光が揺らめくという。見る者を惑わし、決して戻れぬ場所へと誘う光。集落の老人たちは、こう警告する。「光を見たら、目を閉じろ。決して近づくな。あれは、この世界のものじゃない」。
少年と少女の行方は、誰も知らない。ただ、霧島の山奥では、今もなお、夜の闇に光が漂い、静かに何かを待ち続けている。