それは今から20年ほど前のこと、福岡県の山深い地域に住む高校生の俺は、夏休みの終わりに友人たちと肝試しを計画した。場所は地元で有名な廃トンネル。戦前に作られたそのトンネルは、事故や自殺の噂が絶えず、夜になると誰も近づかない場所だった。地元の人たちは「夜にあそこを通ると、戻ってこられない」と囁き合っていた。
俺たちのグループは5人。リーダー格の陽気な男、いつも冷静な優等生、怖がりだけど好奇心旺盛な女の子、冗談好きのムードメーカー、そして俺だ。夏の夜、蒸し暑い空気の中、懐中電灯を手にトンネルの入り口に立った。トンネルは山の斜面にぽっかりと口を開け、まるで何かを飲み込むような不気味な闇が広がっていた。入り口には錆びた鉄格子があったが、半分壊れていて簡単に入れた。
「やっぱりやめようよ…」と怖がりの女の子が呟いたが、ムードメーカーが「大丈夫だって!ただの古いトンネルだよ!」と笑いながら背中を押した。俺も内心ビビっていたけど、みんなのノリに流されて足を踏み入れた。トンネルの中はひんやりと冷たく、カビ臭い空気が鼻をついた。懐中電灯の光がコンクリートの壁に反射し、ところどころ剥がれた塗装や苔が不気味な模様を作っていた。
最初は笑い声や冗談が響いていたが、奥に進むにつれてみんなの声が小さくなった。トンネルの長さは500メートルほどと聞いていたが、歩いても歩いても出口が見えない。時計を見ると、10分以上歩いているのにまだ半分も進んでいない気がした。「おかしいな…こんなに長かったっけ?」と優等生が呟いた瞬間、どこからか低い唸り声のような音が聞こえてきた。
「何!?今の!?」と女の子が叫び、みんな一斉に立ち止まった。音は遠くから響いてくるようだったが、トンネルの反響でどこから来ているのか分からない。リーダーが「ただの風だろ、気にすんな」と強がったが、その声は少し震えていた。俺たちは再び歩き始めたが、今度は足音以外の音が聞こえる。カツ、カツ、という軽い足音。まるで誰かが後ろからついてくるようだ。
「誰かいる…?」とムードメーカーが振り返ったが、懐中電灯の光が照らす先には誰もいない。ただ、闇がより濃く感じられた。俺の背筋に冷たいものが走った。すると、突然、女の子が悲鳴を上げた。「何か見た!トンネルの壁に…人影が!」彼女の指差す先を照らすと、確かに壁にぼんやりとした影が映っている。だが、俺たちの他に誰もいないはずだ。影はゆっくりと動いて、まるでこちらを見ているようだった。
「ふざけんなよ、こんなのありえないだろ!」とリーダーが叫んだが、その声にかぶさるように、トンネルの奥から女の叫び声が響いた。甲高く、耳をつんざくような声。俺たちは凍りついた。叫び声は一瞬で止んだが、今度ははっきりと足音が近づいてくる。カツ、カツ、カツ…。それは一人分じゃない。複数の足音が、まるで追いかけてくるように聞こえた。
「走れ!」優等生が叫び、俺たちは一斉に出口に向かって走り出した。懐中電灯の光が揺れ、トンネルの壁が歪んで見えた。後ろから聞こえる足音はどんどん近づいてくる。女の子が転びそうになったのを俺が支えながら、必死で走った。どれだけ走ったか分からないが、ようやくトンネルの出口が見えた。鉄格子の隙間から月明かりが差し込み、希望の光に見えた。
だが、出口にたどり着く直前、ムードメーカーが突然立ち止まった。「待て…何かおかしい」と彼が呟いた。俺たちが振り返ると、彼の懐中電灯がトンネルの天井を照らしていた。そこには、ありえない光景が広がっていた。天井に無数の手形がびっしりとついていた。まるで誰かが這うようにして移動した跡のようだ。手形は赤黒く、まるで血で描かれたように見えた。
「何これ…何!?」女の子が泣きながら叫んだ。その瞬間、トンネルの奥から再び叫び声が響き、今度ははっきりと「助けて…」という言葉が聞こえた。声は女のものだったが、どこか歪んでいて、人間とは思えない不気味な響きがあった。俺たちは出口に飛び出し、鉄格子の外に転がるように逃げ出した。
外に出た瞬間、振り返った俺の目に飛び込んできたのは、トンネルの入り口に立つ人影だった。白い服を着た女が、じっとこちらを見つめていた。顔は暗くて見えなかったが、その視線はまるで俺たちの魂を抉るようだった。次の瞬間、彼女の姿は消え、トンネルの中は再び静寂に包まれた。
俺たちはその夜、誰一人として家に帰れず、近くのコンビニで朝まで震えながら過ごした。後日、トンネルの歴史を調べた優等生が教えてくれた。戦時中、そのトンネルは空襲を逃れるための避難場所だったが、ある夜、崩落事故で多くの人が生き埋めになったという。特に若い女性が多く犠牲になり、彼女たちの怨念がトンネルに残っていると噂されていた。
あれから20年、俺はあのトンネルには二度と近づいていない。だが、夜中に目を閉じると、時折あの叫び声や足音が耳に蘇る。トンネルの闇は、俺たちの心に今も消えない影を落としている。