数年前、俺は大学の仲間たちと夏休みを利用して、山形県の山奥にある集落にキャンプに行った。
そこは、携帯の電波も届かないような場所で、鬱蒼とした杉林に囲まれた小さな集落だった。地元の人に聞くと、集落の外れに古い神社があるという。ただし、「あそこには近づかない方がいい」と、なぜか皆が口を揃えて警告してくる。理由を尋ねても、誰もはっきりとは答えない。ただ、年配の男性が「昔、変なことがあった」とだけ呟いて、目を逸らしたのが印象的だった。
俺たちは大学生特有の好奇心と、ちょっとした冒険心に駆られて、その神社を訪れることにした。メンバーは俺を含めて五人。リーダーのような存在の陽気な男、いつも冷静な理系男子、お調子者の後輩、そしてちょっと霊感があると自称する女子とその親友だ。夜のキャンプファイヤーの後、懐中電灯を手に、皆でぞろぞろと森の奥へ向かった。
神社に続く道は、舗装もされておらず、苔むした石段が続いていた。空気はひんやりとしていて、夏なのに肌寒い。木々の間から聞こえる虫の声が、妙に遠く感じられた。石段を登り切ると、朽ちかけた鳥居が見えてきた。その先には、屋根に穴が開いた小さな社がぽつんと立っていた。周囲には古い石灯籠がいくつかあり、どれも風化して苔に覆われている。神社の境内は、まるで時間が止まったかのように静かだった。
「これ、めっちゃ雰囲気あるね!」とお調子者の後輩が声を上げたが、その声が妙に響いて、皆が一瞬黙り込んだ。霊感があるという女子が、「なんか…ここ、嫌な感じする」と呟き、親友が「やめなよ、怖いこと言わないで」と彼女をたしなめた。俺は特に何も感じなかったが、なんとなく空気が重い気がした。
境内を歩いていると、突然、鈴の音が聞こえた。チリン、チリンと、どこか遠くで鳴っているような、か細い音だ。「何だこれ? 風もないのに」とリーダーが辺りを見回したが、音の出どころはわからない。霊感女子が顔を青くして、「この音…やばいよ。帰ろう」と言い出した。だが、お調子者が「せっかく来たんだから、もっと見てこうぜ!」と社の中を覗き込んだ瞬間、また鈴の音が響いた。今度はさっきよりも近く、はっきりと。
その時、理系男子が「あれ、変だぞ」と呟いた。彼が指差したのは、社の裏に続く細い獣道だった。道の先に、ぼんやりとした光が見える。まるで誰かが提灯を持っているかのように、ゆらゆらと揺れている。俺たちは好奇心と恐怖が交錯する中、その光を追うことにした。霊感女子は「絶対やめた方がいい!」と叫んだが、多数決で進むことに。
獣道を進むと、光はどんどん遠ざかる。まるで俺たちを誘っているようだった。道はどんどん狭くなり、足元には古い根や石が転がっていて、懐中電灯の光だけでは心もとない。やがて、光は小さな空き地で止まった。そこには、古びた石碑が立っていた。石碑には文字が刻まれていたが、風化してほとんど読めない。ただ、かすかに「封」という字が見えた気がした。
その瞬間、鈴の音が一斉に鳴り響いた。チリンチリンと、まるで複数の鈴が同時に鳴っているような音が、頭のすぐ上で響く。霊感女子が悲鳴を上げ、親友が彼女を抱きしめた。俺も背筋が凍るような感覚に襲われた。すると、お調子者が「何かいる!」と叫び、懐中電灯を石碑の裏に照らした。そこには、ぼんやりとした人影のようなものが立っていた。いや、立っているというより、浮いているように見えた。白い着物を着た女の姿だったが、顔は見えない。髪が異様に長く、地面に届きそうだった。
「逃げろ!」リーダーの叫び声で我に返った俺たちは、一目散に獣道を戻った。背後では鈴の音が追いかけてくる。チリンチリンと、まるで笑い声のように聞こえた。石段を転がるように下り、キャンプ場に戻った時には全員が息を切らしていた。霊感女子は泣きじゃくり、親友が彼女を慰めていた。俺たちはその夜、テントの中で一睡もできなかった。
翌朝、集落の古老に昨夜のことを話すと、彼は顔を曇らせた。「あんたたち、あの神社に行ったのか…」と呟き、こう続けた。「あの神社は、昔、村に災いをもたらしたものを封じるために建てられた。鈴の音は、その封じられたものが目覚めた時に鳴るって言われてる。絶対に近づいちゃいけない場所なんだ」
俺たちはぞっとして、すぐに荷物をまとめて集落を後にした。それ以来、あの神社には二度と近づいていない。だが、今でも時折、耳の奥でチリンチリンという鈴の音が聞こえることがある。特に静かな夜、目を閉じると、あの女の姿が浮かんでくる。彼女はまだ、俺たちを追いかけているのかもしれない。
数年が経ち、俺たちはあの夜のことをあまり話さなくなった。だが、霊感女子はあの後、頻繁に悪夢を見るようになり、最近では心療内科に通っていると聞いた。お調子者だった後輩も、妙に大人しくなった。俺自身、時折、背後に誰かの視線を感じることがある。特に山形の山奥を通る時、なぜかあの鈴の音が頭をよぎる。あの夜、俺たちは何かを取り返しのつかないものを持ち帰ってしまったのかもしれない。
今でも、山形の山奥を通るたびに、あの神社のことを思い出す。そして、思うのだ。あの鈴の音は、俺たちに警告していたのか、それとも…俺たちを呼び寄せていたのか。