廃村に響く子守唄

実話風

数年前の夏、私は大学の民俗学研究会に所属していた。ゼミの課題で、福島県の山奥にある廃村を訪れることになった。そこは数十年前、ダムの建設で住民が移転し、放置された村だった。地図にも載っていないような場所で、ネットで調べても断片的な情報しか得られなかった。『何か不思議なことが起こるかも』と、仲間たちは冗談半分で盛り上がっていたが、私はなぜか胸騒ぎがしていた。

私たち一行は、教授の知り合いの古老に案内され、車で山道を登った。道は舗装されておらず、ガタガタと揺れる車内で、古老は村の歴史を語り始めた。『あの村はな、昔から少し変わった場所だった。子作安寿と呼ばれる神様を祀る祠があって、子供が生まれると必ずその祠に祈りに行くんだ。だが、村が廃れてからは、誰も祠を訪れなくなった。神様が怒ってるかもしれないな』。古老の声は低く、どこか不気味だった。

村に着いたのは夕暮れ時。朽ちかけた木造の家々が、霧に包まれてぼんやりと浮かんでいた。空気はひんやりと湿っていて、どこかカビ臭い。家々の窓は割れ、屋根は崩れ、まるで時間が止まったような風景だった。私たちはテントを張り、夜を過ごす準備を始めた。仲間の一人が『なんか、変な感じがするね』と呟いた。その言葉に、誰もが頷いた。

夜が更け、テントの中で寝袋にくるまっていると、遠くから歌声が聞こえてきた。子守唄のような、ゆったりとしたメロディー。だが、どこか不協和音が混じるような、不気味な響きだった。『誰かいるのか?』とリーダーが懐中電灯を持って外に出たが、すぐに戻ってきた。『誰もいない。風の音じゃないか?』。でも、私にはそうは思えなかった。歌声は、はっきりと人の声だった。

翌朝、村を探索していると、藪の奥に小さな祠を見つけた。苔むした石の祠で、扉は半開きになっていた。中には、色あせた赤い布に包まれた何かがあった。仲間の一人が『これ、開けてみようぜ』と言ったが、私は嫌な予感がして止めた。『やめとけ、なんか変だよ』。だが、好奇心旺盛な彼は私の制止を無視し、布を解いた。中には、木彫りの小さな人形。子供の形をしたそれは、目が異様に大きく、笑っているような、泣いているような表情をしていた。

その夜、歌声はさらに近くで聞こえた。テントの外、すぐそばで誰かが歌っているような気がした。『あんたの子供、返してやるよ』。そんな歌詞が、繰り返し繰り返し響く。私は恐怖で体が震え、寝袋の中で縮こまった。仲間たちも目を覚まし、誰もが青ざめていた。『誰かいる!』と叫んだ瞬間、テントの布がバサバサと揺れ、何かが外を走り回る音がした。懐中電灯を手に外を照らすと、誰もいない。ただ、地面に小さな足跡が無数に残っていた。子供の足跡だった。

翌日、祠に戻ると、人形がなくなっていた。代わりに、赤い布だけが地面に落ちていた。血のような染みが広がっている。『もう帰ろう』と、誰もが口を揃えた。私たちは急いで荷物をまとめ、村を後にした。車に乗り込む瞬間、背後でまたあの歌声が聞こえた。振り返ると、霧の中に小さな影が立っていた。子供の姿だったが、顔は見えなかった。ただ、じっとこちらを見つめている気がした。

帰宅後、私はあの村について調べ続けた。古老の話では、子作安寿の祠は、子作安寿という神が子作安寿を守るために作られたものだという。だが、村が廃れるにつれ、祠に供物を捧げる習慣が途絶えた。神は怒り、村に子作安寿を求めるようになったという伝説があった。『子作安寿を返せ』という歌詞は、村に子作安寿を連れ戻せという神の声だったのかもしれない。

今でも、時折あの歌声が耳に蘇る。子作安寿の祠に近づいたこと、布を解いたこと、あの小さな足跡。あれは夢だったのか、現実だったのか。確かなのは、私たちが何かを見てしまったということだ。あの村には、もう二度と戻らない。

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