それは今から20年ほど前、私がまだ高校生だった頃の話だ。
宮城県の山奥に住む私は、夏休みの終わり、友人と共に地元の山で肝試しをすることになった。場所は、村の外れにある古い神社。地元では「入るな」と囁かれる、廃墟と化した場所だった。鳥居は苔に覆われ、参道は雑草に埋もれていた。噂では、数十年前に神職が突然姿を消し、それ以来、不気味な出来事が絶えないという。だが、10代の好奇心はそんな警告を笑いものにした。
私を含め、4人のグループだった。リーダー格のAは怖いもの知らずで、いつも無鉄砲な計画を立てる。Bは気弱だが仲間外れを嫌い、渋々参加。Cはオカルト好きで、怪談話を嬉々として語るタイプ。私はただ、皆と一緒にいたい一心でついて行った。夜9時、懐中電灯を手に、薄暗い山道を進んだ。夏の夜とはいえ、山の空気は冷たく、虫の声が不気味に響く。
神社に着くと、鳥居の前でCが急に立ち止まった。「何か…変な感じがする」と呟く。Aは笑いながら「ビビるなよ!」と背中を叩き、先に進んだ。境内は静まり返り、朽ちかけた本殿が月明かりに照らされている。空気は重く、まるで何かに見られているような感覚がした。私は背筋がぞくりとしたが、皆の前で怖がるのは格好悪いと思い、黙ってついて行った。
Aが提案したのは、本殿の中を探検すること。Cは「やめよう、絶対何かいるよ」と反対したが、Aの勢いに押され、結局全員で中に入った。本殿の扉は半分壊れ、隙間から冷たい風が吹き込んでくる。中は埃っぽく、床は腐りかけていた。祭壇には古い神像が置かれ、顔が削り取られたように見えた。不気味だったが、Aは「こんなのただのゴミだろ」と笑い、祭壇に近づいた。
その時、突然、背後でガサッと音がした。皆が振り返ると、暗闇の中で何かが動いた気がした。「誰かいるのか?」とAが叫んだが、返事はない。Bが震える声で「帰ろう…」と言い出した瞬間、懐中電灯の光が一瞬揺れ、Cが悲鳴を上げた。「何か見た!黒い影が…!」彼女の指す方向には何もなかったが、皆の心臓はバクバクだった。
それでもAは強がり、「ただの動物だろ」と進もうとした。だが、次の瞬間、本殿の奥から低いうめき声のような音が響いた。人間の声とも、獣の声ともつかない、異様な音。私の足はすくみ、動けなくなった。Bは泣き出し、Cは「だから言ったじゃん!」と叫ぶ。Aだけが「見に行こうぜ」と懐中電灯を振り回したが、その光が照らしたのは、壁に映る異様に長い影だった。人間の形をしていたが、頭部が異常に大きく、腕が不自然に伸びている。
「なんだあれ…?」Aの声が震えた。影はゆっくり動き、こちらに近づいてくるようだった。Cが「逃げなきゃ!」と叫び、皆一斉に本殿の出口へ走った。だが、扉にたどり着く直前、背後でドンッと重い音が響き、振り返ると祭壇の神像が倒れていた。いや、倒れたのではなく、何かに押されたように見えた。暗闇の中で、黒い影が蠢いている。
私たちは必死に外へ飛び出し、鳥居をくぐり抜けた。だが、逃げる途中、Cが足を滑らせ、転倒した。彼女を助けようと振り返った瞬間、鳥居の向こうに立つ黒い影がはっきりと見えた。それは人間の形をしていたが、顔はなかった。いや、顔の部分が黒く潰れ、まるで闇そのものがそこにあるようだった。目はなかったが、間違いなくこちらを見ている。全身が凍りつき、息ができなかった。
「走れ!」Aが叫び、Cを引っ張り上げ、皆で山を駆け下りた。背後から、木々が擦れる音や、地面を這うような不気味な音が追いかけてくる。どれだけ走ったか分からない。村の明かりが見えた時、ようやく音は止んだ。振り返っても、もう何も見えなかった。だが、あの黒い影の視線は、背中に焼き付いたままだった。
翌日、Cは高熱を出し、数日間寝込んだ。Bはそれ以来、神社の話を一切しない。Aは強がっていたが、夜道を歩くのをやめた。私も、あの夜のことは誰にも話せなかった。村の古老にこっそり尋ねると、かつてその神社で神職が「何か」を封じる儀式を行っていたが、失敗に終わり、姿を消したという。以来、あの場所には「黒いもの」が住み着き、夜な夜な彷徨うと囁かれていた。
今でも、夏の夜に山の風が吹くと、あのうめき声が聞こえる気がする。黒い影が、どこかで私を待っているような気がしてならない。あの神社は今もそこにあり、誰も近づかない。だが、時折、村の子供たちが肝試しに行こうと話すのを聞くたび、私は叫びそうになる。「行くな」と。