福岡県の山奥、車一台がようやく通れるような細い道を抜けた先に、その場所はあった。30年前、1995年の夏、俺は大学二年生だった。地元の仲間たちと肝試しに興じていたあの頃、誰かが噂を聞きつけてきた。「山の奥にある廃神社、夜に行くと変な声が聞こえるらしいぜ」。好奇心と若さゆえの無鉄砲さで、俺たち五人はその夜、懐中電灯と安物のカメラだけを手に、車で向かった。
道は舗装もろくにされておらず、ガタガタと車が揺れるたびに、助手席の友人が「ほんとにこんなとこ行く価値あんのかよ」と愚痴をこぼした。運転手の先輩は「ビビんなよ、ただの廃墟だろ」と笑いながらアクセルを踏み込んだ。だが、車内の空気はどこか重かった。誰もが冗談めかして笑っていたが、目に見えない不安が漂っていた。
やがて、木々の隙間から神社の鳥居が見えた。朽ち果て、苔むした石の鳥居は、まるでこの世とあの世の境界を示しているようだった。車を停め、俺たちは懐中電灯の明かりを頼りに歩き出した。夏の夜とはいえ、山の空気は冷たく、虫の声すらまばらだった。参道は荒れ放題で、足元には折れた枝や石が転がり、時折カサカサと何かが動く音が聞こえた。友人の一人が「これ、マジでやばいんじゃね?」と囁いたが、先輩が「ハハ、ビビりすぎ!」と一蹴した。
本殿にたどり着いたとき、俺たちは言葉を失った。木造の社殿は半壊し、屋根は落ち、壁には蔦が絡みついていた。だが、それよりも異様なのは、社の前に置かれた古い石像だった。子を抱いた女性の像で、顔は風化して目鼻がほとんどわからなかったが、なぜかその表情が笑っているように見えた。背筋に冷たいものが走った。
「なあ、これ、なんかやばくね?」と友人が言った瞬間、風もないのに木々がざわめいた。ゾッとした俺たちは顔を見合わせたが、先輩が「ほら、写真撮っとけよ! 記念だろ!」と無理やり明るい声を張り上げ、カメラを構えた。フラッシュが光ると、暗闇に一瞬、社の奥に白い影が浮かんだ気がした。俺は目をこすった。見間違いだ、きっとそうだ。
そのとき、かすかに、だが確かに、声が聞こえた。
「♪ねんねんころりよ、おころりよ…♪」
子守唄だった。女の声。低く、ゆっくりと、まるで耳元で囁くように。誰もが凍りついた。懐中電灯を握る手が震え、誰かが「うそだろ…」と呟いた。声は遠くから聞こえるようで、でもどこか近く、社の奥から響いてくるようだった。俺は思わず叫んだ。「誰だ! 出てこいよ!」だが、返事はなく、子守唄だけが続く。
「♪ぼうやはよいこだ、ねんねしな…♪」
先輩が「ふざけんな、帰るぞ!」と叫び、俺たちは一目散に参道を駆け下りた。だが、走るほどに道が長く感じられた。さっきはすぐに着いたはずの鳥居が、どれだけ走っても見えてこない。息が上がり、足がもつれそうになる中、背後から子守唄が追いかけてくる。いや、追いかけてくるというより、俺たちの周りをぐるぐると回っているような気がした。
ようやく車にたどり着いたとき、俺たちは汗だくで息を切らしていた。車に乗り込み、エンジンをかける。先輩がアクセルを踏み込むと、車はガタガタと山道を下り始めた。誰も口をきかなかった。子守唄はもう聞こえなかったが、耳の奥にそのメロディがこびりついていた。
家に帰り着いたのは深夜を過ぎた頃だった。放心状態のまま、俺はベッドに倒れ込んだ。だが、眠れなかった。あの石像の笑顔と、子守唄が頭から離れない。翌日、仲間たちと連絡を取ったが、誰もが口を揃えて「二度とあんなとこ行かねえ」と言うだけだった。カメラのフィルムを現像に出したが、社の写真はどれも真っ黒で、何も写っていなかった。
それから数週間後、俺は地元の古老にこの話をしてみた。すると、老人の顔がこわばった。「あの神社か…」と呟き、こんな話を聞かせてくれた。
数十年前、その神社には子作安寿という神が祀られていた。子育てや安寿を祈る母親たちが訪れる場所だったが、ある時期から「子を失った母の霊が出る」と噂されるようになった。戦時中、食糧難で子を育てられず、自ら命を絶った母親たちがいたという。その中の一人が、子を抱いたまま神社の裏で息を引き取り、以来、夜な夜な子守唄を歌うのだと。古老は最後にこう付け加えた。「あの場所には近づかん方がいい。まだ、彼女は子を探してるんだよ」
その話を部分を聞いて、俺は背筋が凍りついた。あの夜の記憶が、鮮明に蘇る。あの子守唄は、ただの幻聴なんかじゃなかった。彼女はそこにいた。いや、いる。子を抱き、笑いながら、俺たちを見ていた。
今でも、静かな夜に耳を澄ますと、遠くからあのメロディが聞こえてくる気がする。「♪ねんねんころりよ…♪」俺はもう、あの山には二度と近づかない。だが、彼女の目は、俺をまだ見ているのかもしれない。