湿った足音の追跡

実話風

湿った足音が、背後から聞こえてくる。

その夜、私はいつものように千葉の田舎町にある実家へと車を走らせていた。両親が留守にしている間、家の様子を見に行くのが私の役目だった。時計はすでに深夜の1時を回り、周囲は深い闇に包まれている。国道から脇道に入ると、街灯もまばらになり、ヘッドライトだけが頼りだ。左右には田んぼが広がり、時折、カエルの鳴き声が聞こえるくらいで、他には何の音もない。静かすぎる夜だった。

実家に着くと、私は車を降り、玄関の鍵を開けた。家の中はひんやりとしていて、どこか湿った空気が漂っている。古い木造の家だから、こんな夜は特に湿気がこもる。電気をつけ、リビングで一息つこうとソファに腰を下ろした瞬間、どこからか奇妙な音が聞こえてきた。

ピチャ……ピチャ……。

水滴が落ちるような音だ。最初は、キッチンの蛇口が緩んでいるのかと思った。立ち上がって確認しに行ったが、蛇口はしっかり閉まっている。音はまだ続く。ピチャ……ピチャ……。今度は、もっと近くで聞こえる。まるで、誰かが濡れた足で歩いているような、そんなリズムだ。私は耳を澄ませた。音は家の外から聞こえてくるようだった。

窓の外を見ると、庭のあたりがやけに暗い。いつもなら月明かりでぼんやりと見えるはずの庭の木々が、今夜はまるで闇に飲み込まれているようだ。ピチャ……ピチャ……。音が近づいてくる。私は息を殺してカーテンの隙間から外を覗いた。そこには、誰もいない。ただ、庭の土が妙に濡れているように見えた。雨が降った記憶はないのに。

急に背筋が冷たくなった。私は慌ててカーテンを閉め、玄関の鍵がちゃんと閉まっているか確認した。鍵は問題ない。だが、音は止まない。ピチャ……ピチャ……。今度は、玄関のドアのすぐ向こうから聞こえてくる。私はドアに近づく勇気が出ず、ただ立ち尽くしていた。すると、ドアの隙間から、かすかに水が染み出しているのが見えた。まるで、誰かが濡れた体をドアに押し当てているかのように。

心臓がバクバクと鳴り、冷や汗が背中を伝う。私は携帯を手に取り、誰かに電話しようとしたが、電波が圏外になっている。こんなことは初めてだった。ピチャ……ピチャ……。音が一瞬止まり、ホッとしたのも束の間、今度は家の裏口の方から同じ音が聞こえてきた。私はリビングに戻り、ソファの後ろに隠れるようにして息を潜めた。

しばらくすると、音がまた変わった。ピチャ……ピチャ……という水音に混じって、かすかな呻き声のようなものが聞こえる。低い、喉の奥から絞り出すような声。男とも女ともつかない、ただただ不気味な響きだった。私は恐怖で体が震え、動けなくなった。呻き声は次第に大きくなり、まるで家の中に入ってくるかのように近づいてくる。

突然、バン! と裏口のドアが叩かれた。私は悲鳴を上げそうになり、必死で口を押さえた。バン! バン! 叩く音は一度や二度ではなく、執拗に続く。ドアが壊れるのではないかと思うほど激しい音だった。私は這うようにして二階へ逃げ、寝室のクローゼットに隠れた。ドアを閉め、服の間に身を潜めながら、ただ祈ることしかできなかった。

どれくらい時間が経っただろう。叩く音はやみ、ピチャ……ピチャ……という足音も聞こえなくなった。だが、私はまだ動けなかった。クローゼットの中で息を殺し、耳を澄ませていた。静寂が続く中、突然、クローゼットのすぐ外で、かすかな水音がした。ピチャ……。私は心臓が止まりそうになった。ゆっくりと、しかし確実に、音は近づいてくる。クローゼットのドアが、きぃ……と小さな音を立てて開く気配がした。

私は目を閉じ、息を止めた。もう何も考えられなかった。ただ、恐怖だけが全身を支配していた。すると、耳元で、冷たい息のようなものが感じられた。ぞっとするほど冷たく、湿った空気が私の頬を撫でる。そして、囁くような声が聞こえた。

「見つけた……」

その瞬間、私は気を失った。

目が覚めたとき、私はリビングのソファに横になっていた。朝日が窓から差し込み、まるで昨夜の出来事が夢だったかのように穏やかな空気が漂っている。だが、足元を見ると、床に濡れた足跡が点々と続いていた。私の足は乾いている。足跡は、ソファから玄関の方へと伸び、そしてそこで途切れていた。

私は震える手で携帯を手に取り、電波が戻っていることを確認した。すぐに家を出て、車に飛び乗り、実家を後にした。それ以来、私はあの家には二度と戻っていない。両親には「忙しいから」と言い訳をして、家を売るように説得した。だが、夜になると、今でもあの湿った足音が耳に蘇る。ピチャ……ピチャ……。そして、どこからともなく聞こえる、あの囁き声。

「見つけた……」

私は今も思う。あの夜、追いかけてきたものは、いったい何だったのか。そして、なぜ私を「見つけた」と言ったのか。その答えを知るのが、怖くてたまらない。

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