廃神社に響く異界の鈴音

ホラー

今から20年ほど前、石川県の山深い集落に住む高校生の俺は、夏休みの終わりに妙な体験をした。あの日のことは、今でも背筋が凍るほど鮮明に覚えている。

俺の住む集落は、周囲を鬱蒼とした森に囲まれ、携帯の電波もろくに届かないような場所だった。集落の外れには、長い間放置された小さな神社があった。地元では「行ってはいけない」と囁かれる場所で、子供の頃から「夜にあの神社に近づくと、帰ってこられない」と親にきつく言われていた。理由を聞いても、誰もはっきり教えてくれなかった。ただ、爺ちゃんだけが、酔っ払った時に「昔、あそこで人が消えた」とボソッと呟いたことがあった。

その夏、俺は友達のタケシとユウキと一緒に、肝試しをしようと盛り上がっていた。高校生にもなると、怖い話なんて半信半疑で、禁止されてる場所に行ってみるのがちょっとした冒険だった。ユウキが「どうせ何もないって。行って写真撮って、みんなに自慢しようぜ」と言い出したのがきっかけで、俺たちはその神社に行くことにした。計画は簡単だった。夜の10時に集落の外れで待ち合わせ、神社まで歩いて行って、拝殿の前で写真を撮って帰ってくる。それだけだ。

その夜、俺たちは懐中電灯を手に、こそこそと家を抜け出した。月明かりが薄く、森の木々が風でざわざわと揺れる音が不気味だった。神社までの道は、舗装もされてない細い獣道で、草が膝まで伸びていた。タケシが「マジで何もないよな?」と少しビビりながら言うと、ユウキが「ビビってんのかよ!」と笑って、わざと大声で歌い出した。俺はなんとなく胸騒ぎがして、「静かにしろよ」と二人を制した。

30分ほど歩くと、神社の鳥居が見えてきた。朽ちかけた木の鳥居は、苔と蔦に覆われ、まるでそこだけ時間が止まっているようだった。鳥居をくぐると、敷地内はさらに静かで、風の音さえ聞こえなくなった。拝殿はボロボロで、屋根には穴が空き、壁は半分崩れかけていた。俺たちは拝殿の前に立ち、ユウキが持ってきたデジカメで写真を撮った。フラッシュが光ると、暗闇に浮かぶ拝殿の姿が一瞬だけ鮮明に見えた。その時、俺は何かおかしいと感じた。拝殿の奥、暗闇の中に、ぼんやりと白い影が揺れているように見えたのだ。

「なあ、今、なんか見なかった?」と俺が言うと、タケシが「え、なに? やめろよ、怖えじゃん」と震えた声で返してきた。ユウキは「バーカ、気のせいだろ」と笑ったけど、いつもより声が小さかった。俺はもう一度懐中電灯で拝殿の奥を照らしたが、何もなかった。ただ、なぜか空気が重く、胸が締め付けられるような感覚があった。

その時、どこからか「チリン」と鈴の音が聞こえた。かすかだけど、確かに近くで鳴っている。俺たちは一斉に顔を見合わせた。「お前、鈴持ってんのか?」とタケシがユウキに聞いたが、ユウキは首を振った。音はまた「チリン、チリン」と続き、だんだん近づいてくるようだった。俺の心臓はバクバク鳴り、汗が止まらなかった。「帰ろうぜ」と俺が言うと、二人とも無言で頷き、来た道を急いで戻り始めた。

だが、鳥居をくぐって獣道に出た瞬間、異変に気づいた。道が、さっき来た時と違っていた。草はなくなり、地面はまるで誰かが丁寧に踏み固めたように平らだった。木々も、さっきより間隔が広く、まるで別の森のようだった。「おい、これ、道間違えたか?」とタケシがパニック気味に言ったが、俺たちはまっすぐ来た道を戻っただけだ。間違えるはずがない。

「チリン、チリン」

また鈴の音が聞こえた。今度はすぐ後ろからだ。振り返ると、暗闇の中に白い影が立っていた。人の形をしていたが、顔は見えず、ただ白い着物を着たような姿がぼんやりと浮かんでいた。ユウキが「うわっ!」と叫んで走り出し、俺とタケシも必死で後を追った。走りながら、鈴の音がどんどん近づいてくる。振り返る勇気なんてなかった。ただ、背後から冷たい息のようなものが首筋に当たる気がして、恐怖で頭が真っ白になった。

どれだけ走ったか分からない。急に足元の地面が柔らかくなり、草の感触が戻ってきた。見上げると、さっきの獣道とそっくりな道に戻っていた。鈴の音は消え、背後の気配もなくなっていた。俺たちは息を切らしながら立ち止まり、互いに「何だったんだよ」と叫び合った。ユウキはデジカメを握り潰すように持っていて、震えながら「もう二度と行かねえ」と呟いた。

家に帰ってから、俺たちは撮った写真を確認した。だが、デジカメのデータは全て壊れていて、黒いノイズしか映っていなかった。いや、一枚だけ、ノイズの中に白い影が映っているように見えた気がした。でも、怖くてそれ以上見る気にはなれなかった。

次の日、俺は爺ちゃんにそのことを話した。爺ちゃんは顔を真っ青にして、「お前、あの神社に行ったのか」と怒鳴った。そして、震える声でこう言った。「あの神社はな、昔、異世界の入口になった場所だ。行った人間は、別の世界に連れて行かれる。運良く戻れたお前はラッキーだったんだぞ」。爺ちゃんはその後、詳しい話はせず、ただ「二度と近づくな」と繰り返した。

それから俺は、あの神社には一度も行っていない。集落の人たちも、誰もその話をしない。でも、夜、風が強い日には、遠くから「チリン、チリン」と鈴の音が聞こえる気がして、背筋が凍る。あの夜、俺たちは本当に元の世界に戻れたのだろうか。時々、そんな疑問が頭をよぎる。だって、最近、ユウキの様子が少しおかしいんだ。時々、誰もいない場所で「チリン」と呟いているのを見かけるから。

あの神社は、今も森の奥で静かに佇んでいる。誰も近づかない、ただそこにあるだけの場所。でも、もしあなたが石川県の山奥で、夜に鈴の音を聞いたら、決して振り返らないでほしい。振り返った瞬間、あなたの世界は、変わってしまうかもしれないから。

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