今から数十年前、山形県の山深い村に、静かな集落があった。そこは、雪が深く積もる冬と、緑が息づく夏が交互に訪れる場所。村の外れには、古い神社がひっそりと佇み、苔むした鳥居が、まるで過去と現在を隔てる門のように立っていた。村人たちはその神社を敬い、近づかぬよう子供たちに言い聞かせていた。だが、なぜかその理由を誰も明確に語ろうとはしなかった。
集落に住む少年、健太は好奇心旺盛な12歳だった。夏の終わり、蝉の声が響く昼下がり、健太は仲間たちと「肝試し」をしようと計画した。目的地は、当然のようにあの神社だった。村の大人たちが口を揃えて「行くな」と言う場所に、子供たちの冒険心は掻き立てられたのだ。仲間の中でも特に怖がりな少女、由美は、最初は嫌がっていたが、健太に「一緒に行こうよ、絶対大丈夫だから」と説得され、渋々ついて行くことにした。
その夜、月明かりが薄く照らす中、健太、由美、そしてもう一人の少年、翔太の3人は神社へと向かった。懐中電灯の光が揺れ、木々の間を抜ける風が不気味な音を立てる。神社に近づくにつれ、由美の足取りは重くなり、顔は青ざめていた。「やっぱり帰りたい…」と小さな声でつぶやく由美を、健太は「もうちょっとだよ!面白くなるから!」と励ました。だが、翔太もどこか落ち着かない様子で、時折後ろを振り返っていた。
ようやく神社の鳥居が見えた。古びた木の鳥居は、まるで何かを拒むようにそこに立っていた。3人は鳥居をくぐり、参道を進んだ。参道の先には小さな社があり、その周囲には朽ちかけたお供え物や、風で飛ばされた紙垂が散らばっていた。健太は興奮して「ほら、何もないじゃん!」と笑ったが、由美は「なんか…変な感じがする」と震えながら言った。翔太も黙ったまま、じっと社を見つめていた。
その時、由美が小さな悲鳴を上げた。「あ、あれ…!」彼女が指さしたのは、社の裏に続く細い獣道だった。そこに、ぼんやりと赤い影が揺れているように見えた。健太は「ただの布か何かだろ」と強がりながら近づいた。だが、近づくにつれ、それが布ではなく、赤い着物をまとった女の姿だとわかった。女は背を向け、長い黒髪が風に揺れていた。顔は見えない。健太は凍りついたように立ち止まり、由美は泣き出し、翔太は「逃げよう!」と叫んだ。
3人は一目散に参道を駆け下り、鳥居をくぐって集落へと戻った。息を切らせながら家にたどり着いた健太は、両親にその話をした。だが、両親の顔はみるみる青ざめ、「二度とあの神社に近づくな」と厳しく言いつけた。その夜、健太は悪夢を見た。赤い着物の女が、顔のないまま彼の枕元に立ち、じっと見つめている夢だった。目が覚めた時、部屋の隅に赤い布切れが落ちているのを見つけた。だが、すぐにそれは消え、幻だったのかと自分を納得させた。
数日後、由美が突然高熱を出して寝込んだ。医者を呼んだが、原因不明のまま彼女の容態は悪化していった。由美の母は、彼女がうわ言で「赤い…女…ごめんなさい」と繰り返すのを聞き、恐怖に震えた。村の古老に相談したところ、古老は重い口を開き、神社の秘密を語り始めた。
数十年前、その神社には村の娘が巫女として仕えていた。彼女は美しく、村人たちに愛されていたが、ある日、村にやってきた旅の男と恋に落ちた。村の掟では、巫女は神に仕える身であり、恋愛は許されなかった。だが、彼女は男と逃げようとした。それを知った村人たちは激怒し、彼女を神社の奥に幽閉した。彼女はそこで絶望し、自ら命を絶った。だが、彼女の怨念は消えず、赤い着物をまとい、村に災いをもたらすようになった。以来、彼女の霊は神社に封じられ、近づく者を呪うとされていた。
古老は「その女の霊に取り憑かれた者は、必ず死ぬ」と言い、由美を救うには神社の奥に眠る彼女の遺品を燃やし、呪いを解くしかないと告げた。健太と翔太は、由美を救うため、再び神社へ向かうことを決意した。だが、恐怖は彼らの心を締め付け、足は鉛のように重かった。
再び神社に足を踏み入れた夜、月は雲に隠れ、辺りは真っ暗だった。懐中電灯の光を頼りに、2人は社の裏にある古い蔵へと向かった。蔵の扉は錆びつき、開けるのに力が要った。中は埃とカビの臭いが充満し、朽ちた箱や布が散乱していた。その奥に、赤い着物が丁寧に畳まれて置かれていた。健太がそれに手を伸ばした瞬間、背後で女の笑い声が響いた。振り返ると、赤い着物の女が立っていた。顔は見えないが、彼女の気配は2人を圧倒した。
翔太は叫び声を上げ、蔵の外へ逃げ出した。健太は震えながらも着物を掴み、持っていたライターで火をつけた。着物が燃え始めると、女の笑い声は叫び声に変わり、蔵全体が揺れるような錯覚に襲われた。炎が着物を飲み込むと、女の姿は煙とともに消えた。健太は這うようにして蔵を脱出し、翔太と合流した。2人は村に戻り、息も絶え絶えに由美の家へ向かった。
翌朝、由美の熱は下がり、意識を取り戻した。村人たちは安堵したが、健太と翔太は二度とその夜のことを口にしなかった。神社はその後、村人たちの手で封鎖され、誰も近づかなくなった。だが、健太は時折、夢の中で赤い着物の女を見た。彼女は顔を隠したまま、静かに笑っていた。
それから数年、健太は村を出て都会で暮らすようになった。だが、毎年夏になると、胸の奥に冷たいものが広がるのを感じた。ある夜、彼はふと目を覚ますと、枕元に赤い布切れが落ちているのを見つけた。触れると、それは消えた。だが、その瞬間、遠くで女の笑い声が聞こえた気がした。健太は知っていた。彼女はまだ、どこかで彼を見ているのだ。
村に残った翔太は、ある日突然姿を消した。村人たちは、彼が山に入ったきり戻らなかったと言った。だが、健太は確信していた。翔太は、彼女に連れていかれたのだ。赤い着物の呪いは、決して終わらない。村を出た者も、残った者も、彼女の影から逃れることはできないのだ。
今も、山形のその集落では、夏の夜に神社の方から女の笑い声が聞こえるという。村人たちは窓を閉め、子供たちに「夜は外に出るな」と言い聞かせる。そして、誰もが知っている。赤い着物の女は、まだそこにいるのだ。