深夜の廃墟に響く足音

実話風

私は栃木県の田舎町に住む会社員だ。年齢は30歳を少し過ぎたあたり。普段は単調な生活を送っているが、趣味で地元の廃墟や古い建物を見に行くのが好きだ。写真を撮ったり、昔の雰囲気に浸ったりするのが楽しい。特に、夜の廃墟はどこか神秘的で、静寂の中に潜む何かを感じる瞬間がたまらない。

その日、週末の夜だった。友人と軽く飲んだ後、ふと思い立って近くの廃墟に行くことにした。目的地は町外れにある古い工場跡。戦後しばらく稼働していたらしいが、30年ほど前に閉鎖され、今は朽ちたコンクリートの塊が雑草に埋もれている場所だ。地元では「何か出る」と噂される場所だが、怖いもの見たさで何度か足を運んだことがあった。

夜11時頃、車を工場の近くの空き地に停め、懐中電灯を手に持って歩き出した。月明かりが薄く、辺りはしんと静まり返っている。工場の敷地に入ると、錆びた鉄扉が風に揺れてキィキィと音を立てていた。いつもならその音にも慣れているはずなのに、この夜は妙に心臓がドキドキしていた。

工場の中は、壊れた機械や散乱したガラス片がそのまま放置されている。懐中電灯の光を頼りに、慎重に足を進めた。コンクリートの壁には落書きがびっしりで、誰かが書いた「ここから出られない」なんて文字が目に入った。冗談だろうと思ったが、背筋に冷たいものが走った。

しばらく奥に進むと、突然、遠くから「カツン、カツン」という音が聞こえてきた。靴の踵がコンクリートを叩くような、規則的な足音だ。私は立ち止まり、耳を澄ませた。音は一瞬止まり、また再び聞こえてきた。誰かいるのか? 廃墟にこんな時間に来るなんて、よほどの物好きか、ホームレスくらいしか考えられない。でも、この辺りでそんな人を見たことはない。

「誰かいる?」と声を上げてみたが、返事はない。代わりに、足音が少し大きくなった気がした。懐中電灯を音の方向に振ってみたが、暗闇に飲み込まれて何も見えない。少し怖くなってきたが、好奇心が勝り、音のする方へゆっくり歩き出した。

工場の奥には、かつて事務所だったらしい部屋がいくつかある。その一つの扉が半開きになっていて、足音はそこから聞こえてくるようだった。扉の隙間から光を差し込むと、埃だらけの机や椅子がぼんやりと浮かび上がった。誰もいない。なのに、足音はまだ聞こえる。カツン、カツン。まるで部屋の奥からこちらに向かってくるようだ。

心臓がバクバクしていた。逃げようかと思ったが、足がすくんで動かない。その時、ふと気付いた。足音が、部屋の中からではなく、私の背後から聞こえてくる。振り返るのが怖かったが、意を決して懐中電灯を後ろに振った。

そこには誰もいなかった。でも、足音は止まらない。カツン、カツン。まるで私のすぐ後ろを誰かが歩いているように。慌てて走り出した。工場の中を駆け抜け、鉄扉をくぐり、車まで一気に戻った。車に乗り込み、ドアをロックしてエンジンをかけた瞬間、バックミラーに何か映った気がした。黒い影が、工場の入り口に立っているような。

家に帰ってからも、しばらく心臓の鼓動が収まらなかった。あの足音はなんだったのか。誰かがいたのか、それとも私の気のせいか。次の日、友人に話したら、「あそこは昔、事故で何人か死んだって話があるよ」と言われた。詳しいことは誰も知らないらしいが、工場の閉鎖もその事故が原因だったという噂があるらしい。

それ以来、私は夜の廃墟には行っていない。でも、時々、静かな夜に目を閉じると、あの「カツン、カツン」という足音が耳の奥で響くことがある。まるで、誰かがまだ私の後ろを歩いているかのように。

数ヶ月後、別の友人から聞いた話が、さらに私の恐怖を掻き立てた。その工場跡に、昔、夜勤中に機械に巻き込まれて死んだ作業員がいたという。彼は片足を引きずっていたらしく、歩くたびに「カツン」と音がしたそうだ。その話を聞いてから、私はあの夜の足音が、ただの偶然や気のせいではなかったのではないかと考えるようになった。

今でも、車で工場の近くを通るとき、ついそちらを見てしまう。あの鉄扉の向こうに、何かが待っているような気がして。もしかしたら、私があの夜に感じたのは、ただの恐怖じゃなくて、誰かの視線だったのかもしれない。私の背後を、ずっと見つめていた誰かの、冷たい視線。

最近、町の噂で、あの工場が取り壊されるらしいと聞いた。新しい商業施設ができるとかで、重機が入る準備が進んでいるらしい。でも、なぜか工事が遅れているという。作業員が「夜中に変な音がする」とか「誰かに見られている気がする」と言い出して、なかなか進まないらしい。私は思う。あの足音は、まだそこにいるんじゃないかって。コンクリートの下に、雑草の間に、誰かがまだ歩いているんじゃないかって。

私はもう、あの場所には二度と近づかない。でも、もしあなたが好奇心でそこに行くのなら、気をつけてほしい。夜の廃墟は、ただの廃墟じゃない。そこには、誰かの記憶が、誰かの足音が、ずっと響いているかもしれないから。

(以下、物語の余韻を残しつつ、読み手の想像力を刺激する終わり方)

今夜も、どこかで「カツン、カツン」という音が聞こえているかもしれない。あなたの背後で、静かに、でも確かに。

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