朽ちた社の囁き

実話風

20年前の千葉県、房総半島の奥深く。山間にひっそりと佇む小さな集落があった。そこは、鬱蒼とした森に囲まれ、昼間でも薄暗い場所だった。携帯電話の電波も届かず、夜になると星明かりだけが頼りの、まるで時代に取り残されたような場所。俺は大学で民俗学を専攻していた当時、夏休みを利用してこの集落にフィールドワークに来ていた。目的は、古老たちから地域の伝承や風習を聞き出すこと。だが、そこで俺が遭遇したのは、単なる昔話では済まされない、身の毛もよだつ体験astanza体験だった。

集落に着いた初日、俺は村の中心にある公民館で、70歳を過ぎる古老たちに話を聞いた。彼らは親切だったが、どこかよそよそしい。まるで俺に何かを隠しているようだった。夕暮れ時、村の外れにある古い神社に足を運んだ。社は苔むし、木々の隙間から漏れる薄光に照らされていた。鳥居は傾き、参道は雑草に覆われている。誰も訪れていないことは明らかだった。それでも、俺は民俗学者の性か、社の中を覗いてみた。そこには、埃にまみれた小さな仏像と、何かの供物らしきものが置かれていた。だが、その供物は異様だった。黒ずんだ米粒と、赤黒い染みがこびりついた布。まるで血のような。

その夜、公民館の裏にある古い家に泊まった。村人たちが用意してくれた布団は湿っぽく、どこかカビ臭かった。夜中、ふと目が覚めた。静寂の中、遠くから微かな音が聞こえる。女の声のようだった。囁くような、歌うような、しかしどこか不気味な響き。窓の外を見たが、闇しかなかった。音は次第に近づき、家のすぐ近くで止まった。心臓が早鐘のように鳴る。恐る恐る障子を開けると、誰もいない。ただ、庭の草が不自然に揺れていた。風もないのに。

翌朝、俺はその声を聞いたことを村の古老に話した。すると、彼の顔が一瞬強張った。「あんた、社に行っただろう」と彼は言った。声に怒気が混じる。「あそこは行っちゃいけない場所だ」。彼の話では、その神社はかつて村の娘が生贄として捧げられた場所だったという。数百年前、飢饉や疫病が続いた時、村人は神の怒りを鎮めるため、若い娘を社に閉じ込め、生きながら供物にしたのだ。その怨念が今も社に棲み、夜な夜な彷徨うという。俺は半信半疑だったが、古老の目は本気だった。

その日の午後、俺は村の外れの森を歩いていた。資料用の写真を撮りながら、ふと気配を感じた。誰かに見られているような、冷たい視線。振り返っても誰もいない。だが、木々の間からかすかな笑い声が聞こえた。子供の声のようで、どこか歪んでいる。慌ててその場を離れたが、背中にまとわりつくような感覚が消えなかった。夜、公民館に戻ると、俺の荷物が荒らされていた。カメラのフィルムは引きちぎられ、ノートには知らない文字で何か殴り書きされていた。まるで子供の落書きのようで、読めなかったが、背筋が凍った。

三日目、俺は村を出る決心をした。もうこれ以上は耐えられない。だが、朝、公民館の外で異変に気づいた。俺の靴に、赤黒い染みが付いていた。まるで血のような、だが生臭さはなかった。村人たちは何も言わず、ただ俺を遠巻きに見ていた。バス停に向かう道すがら、森の奥からまたあの声が聞こえた。今度ははっきりと。「帰れないよ」と囁く女の声。振り返ると、木々の間に白い着物の女が立っていた。顔は見えない。だが、その姿は人間のものではなかった。足がなかったのだ。

バスに乗るまでの数時間、俺は公民館で震えながら待った。村人たちは誰も近づいてこない。やっとバスが来て、俺は逃げるように乗り込んだ。バスが動き出すと、窓の外に一瞬、彼女の姿が見えた。白い着物、長い黒髪。そして、笑っているような、泣いているような顔。バスが村を離れると、ようやく息をつけた。だが、背中の冷たい感覚は消えなかった。

大学に戻ってからも、俺はあの体験を忘れられなかった。フィルムの破片を現像してみたが、何も映っていなかった。ただ一枚、ぼやけた写真に、木々の間に白い影のようなものが見えた。誰かに話しても信じてもらえない。だが、夜中、時折あの囁き声が聞こえる気がする。「帰れないよ」と。俺はもう二度と、あの集落には近づかない。だが、彼女はまだそこにいる。きっと、俺を待っている。

それから数年後、俺は偶然、別の民俗学者からその集落の話を聞いた。彼によると、最近、村の若い女が失踪したという。警察は捜索したが、彼女は見つからなかった。ただ、社の近くで、赤黒い染みが付いた布切れが見つかったそうだ。あの社は、今も生きている。いや、死んでいるのに、動き続けているのだ。

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