朽ちゆく社の呪い

ホラー

秋田の山奥、鬱蒼とした森の奥深くに、誰も近づかない古い社がある。地元では「朽ち社」と呼ばれ、代々その名を口にするだけで不吉な気配が漂うとされている。社の起源は誰にも分からない。古老たちは、かつてこの地で起きた忌まわしい出来事に関係すると囁くが、詳しい話をする者は一人もいない。まるで、その記憶自体が呪われているかのように。

ある夏の夕暮れ、俺は友人の誘いでその朽ち社へ向かうことになった。友人は地元の大学生で、都市伝説や怪談に目がない男だった。「あの社、なんかヤバいらしいぜ。行ってみねえ?」と軽いノリで誘ってきたのだ。俺は半信半疑だったが、好奇心と退屈な夏休みを紛らわしたい気持ちから、ついその話に乗ってしまった。

社へ続く道は、獣道とも呼べないような細い一本道だった。雑草が生い茂り、足元は湿った土と腐った落ち葉で滑りやすい。空気は重く、虫の鳴き声すら途絶えがちだった。友人はスマホで写真を撮りながら、「これ、めっちゃ雰囲気あるな!」と興奮していたが、俺の胸には得体の知れない不安が広がっていた。まるで、何かに見られているような感覚だ。

やがて、森の奥に朽ちかけた社が姿を現した。木造の小さな建物は、屋根が半分崩れ、柱は苔と黒ずみで覆われていた。社の周囲には、なぜか一本の草も生えておらず、地面は不自然に平らで、黒ずんだ土がむき出しだった。中央には小さな石の祠があり、その表面には何か赤黒い染みがこびりついている。血の跡のようにも見えたが、さすがにそんなはずはないと自分を納得させた。

「すげえ…これ、めっちゃ古そうだな」と友人が呟き、祠に近づこうとしたその瞬間、背後からガサッと音がした。振り返ると、木々の間から冷たい風が吹き抜け、葉が不気味に揺れている。誰もいない。だが、明らかに何かを感じた。友人も一瞬顔を強張らせたが、すぐに笑って「風だろ、ビビんなよ」と誤魔化した。

俺たちは祠の周りを調べ始めた。友人は祠の前に置かれた小さな木箱に目を留めた。箱は古びており、表面には奇妙な模様が彫られていた。まるで、蛇とも龍ともつかない生き物が絡み合っているような、不気味な図柄だ。「これ、開けてみようぜ」と友人が言い出したとき、俺は咄嗟に止めた。「なんか…やめといた方がいい気がする」。だが、友人は笑いながら、「お前、ビビりすぎだろ。ほら、ただの箱だよ」と箱の蓋に手をかけた。

その瞬間、箱から黒い煙のようなものが溢れ出し、辺りに異臭が広がった。腐臭とも硫黄の匂いとも違う、吐き気を催すような臭いだ。友人は驚いて手を離したが、箱の蓋はひとりでに開き、中から小さな人形が転がり落ちた。人形は藁で作られた粗末なものだったが、その顔には赤い染みで目と口が描かれ、まるで苦悶の表情を浮かべているように見えた。俺は凍りつき、友人も言葉を失った。

「…何だこれ」と友人が呟いた瞬間、背後で再びガサッと音がした。今度ははっきりと、足音のように聞こえた。振り返ると、木々の間に何か黒い影が動いた気がした。いや、動いたというより、こちらを覗き込むように立っていた。背筋に冷たいものが走り、俺は友人の腕を掴んで「帰ろう、早く!」と叫んだ。友人も青ざめた顔で頷き、慌ててその場を離れた。

帰り道、俺たちはほとんど言葉を交わさなかった。背後から何かが追いかけてくるような感覚が消えず、足を止めるのが怖かった。ようやく集落に戻ったとき、俺たちの背中は汗でびっしょりだった。家に着いてから、友人は「いや、あれ、なんだったんだろうな…」と笑おうとしたが、その声は震えていた。

その夜、俺は奇妙な夢を見た。朽ち社の前に立っている俺の目の前で、黒い影がゆっくりと近づいてくる。影には顔がないのに、なぜか俺を睨んでいるのが分かった。影が手を伸ばすと、俺の胸に冷たい痛みが走り、目が覚めた。胸に手を当てると、なぜか鈍い痛みが残っていた。

翌日、友人に連絡を取ろうとしたが、電話は繋がらなかった。心配になって友人の家を訪ねると、友人の母親が青い顔で出てきた。「昨日から…様子がおかしいの」と言う。友人は部屋に閉じこもり、誰とも話さず、ただ壁を見つめてブツブツ呟いているらしい。俺が部屋を覗くと、友人は床に座り込み、両手で頭を抱えていた。その手には、あの藁の人形が握られていた。

俺は恐怖に駆られ、その場を逃げるように立ち去った。それ以来、友人と連絡を取ることはできなかった。後日、聞いた話では、友人は精神を病み、遠くの病院に入院したという。だが、俺自身もあの出来事から逃れられなかった。夜になると、決まってあの黒い影が夢に現れる。影は毎晩少しずつ近づいてくる。そして、胸の痛みは日を追うごとに強くなっていく。

ある日、俺は意を決して地元の古老に相談した。話を聞いた古老は顔を曇らせ、「あの社は、昔、呪いを封じるために建てられたものだ」と語った。なんでも、遠い昔、この地で起きた争いの中で、怨念を抱いた者が呪いをかけ、それが朽ち社に封じられたのだという。「あの箱を開けたなら、呪いは解けた。お前たちは、その怨念に取り憑かれたんだ」。古老はそう言って、俺に塩と祈祷の札を渡した。

俺は言われた通りに塩をまき、札を身につけたが、効果はなかった。影は夢の中で笑い声を上げ、俺の耳元で囁く。「お前も朽ちる」と。胸の痛みはもはや耐えがたいものになり、鏡を見ると、俺の胸には赤黒い染みが浮かんでいた。あの祠の染みと同じだ。

今、俺は毎晩、朽ち社の夢を見る。影はもうすぐそこまで来ている。俺の体は日に日に弱り、鏡に映る自分の顔は、まるで別人のようにやつれている。友人はどうなったのか、知る術もない。だが、ひとつだけ確かなことがある。あの朽ち社に近づいた者は、誰も逃れられない。呪いは俺たちを飲み込み、朽ち果てるまで離さない。

秋田の山奥に、朽ち社がある。もし、誰かがその名を口にしたら、決して近づかないでほしい。さもないと、お前もまた、俺のようになる。

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