朽ちた社の呪縛

呪い

30年前、島根県の山深い集落に住む少年、悠斗は、夏の終わりを迎えていた。

その集落は、鬱蒼とした杉林に囲まれ、昼なお暗い場所だった。集落の外れには、苔むした石段が続く古い社があった。社は朽ち果て、鳥居は傾き、屋根には穴が空いていた。村の老人たちは「近づくな」と口を揃えたが、理由を語ることはなかった。子どもたちは、社の周りで遊ぶことを禁じられていたが、悠斗はその禁忌に心を惹かれていた。

ある日、悠斗は同級生の健太と、肝試しをしようと社に忍び込んだ。夏の夕暮れ、蝉の声が遠くで響く中、二人は石段を登った。社は不気味な静けさに包まれ、風もないのに木々がざわめくような気がした。健太は怖気づき、「帰ろう」と囁いたが、悠斗は好奇心を抑えきれず、社の扉をそっと開けた。

中は薄暗く、カビ臭い空気が漂っていた。中央には、埃にまみれた小さな木箱が置かれていた。箱の表面には、奇妙な模様が彫られ、赤黒い染みが滲んでいた。悠斗は、なぜかその箱に触れずにはいられなかった。健太が「やめろ!」と叫んだ瞬間、悠斗の手が箱に触れた。刹那、冷たい風が社を吹き抜け、どこからか低い呻き声が聞こえた。二人は恐怖に駆られ、社を飛び出した。

その夜、悠斗は奇妙な夢を見た。暗い森の中、黒い着物を着た女が立っていた。女の顔は見えず、長い髪が風に揺れていた。女は悠斗に近づき、囁いた。「お前が開けた。私の呪いはお前と共にある。」目が覚めると、悠斗の胸に冷や汗が流れていた。枕元には、なぜか赤黒い染みが付いた小さな布切れが落ちていた。

翌日、健太が学校に来なかった。悠斗が健太の家を訪ねると、健太の母は憔悴した顔で言った。「昨夜、急に高熱を出して、うわ言ばかり…」健太は病院に運ばれたが、原因不明のまま意識を失っていた。悠斗は恐怖に震えながらも、社での出来事を誰にも話せなかった。

数日後、悠斗の周りで異変が続いた。夜になると、家の外で誰かが歩くような足音が聞こえた。窓の外には、誰もいないのに黒い影が揺らめいた。ある夜、悠斗は耐えきれず、祖父にすべてを打ち明けた。祖父は顔をこわばらせ、こう語った。「あの社は、昔、村に災いをもたらした女の霊を封じるために建てられた。箱に触れた者は、呪いを受けると言われている。」

祖父は、村の古老に相談し、祓いの儀式を行うことを決めた。しかし、儀式の準備中、悠斗の夢に再びあの女が現れた。今度は、女の顔が見えた。目がなく、口だけが裂けるように開いていた。女は笑いながら言った。「お前は逃れられない。私の痛みをお前も味わうがいい。」

儀式の日、村の神主が社に赴き、箱を封じ直す儀式を始めた。だが、突然、社が揺れ、地面から黒い霧が立ち上った。神主は叫びながら倒れ、口から血を吐いた。村人たちはパニックに陥り、儀式は中断された。その夜、悠斗の家に火の手が上がった。家族は無事に逃げ出したが、家は全焼し、悠斗の部屋にあった布切れだけが、焼けずに残っていた。

悠斗は集落を離れ、遠くの町で暮らすことになった。しかし、呪いは終わらなかった。夜ごと、女の声が耳元で囁き、鏡には見ず知らずの顔が映った。悠斗の体には、原因不明の傷が浮かび、医者も首を振るばかりだった。健太は意識を取り戻したが、別人のように無口になり、悠斗を避けるようになった。

30年が経ち、悠斗は今もあの日のことを忘れられない。体は弱り、傷は消えない。ある日、悠斗は古いアルバムを開き、集落の写真を見つけた。そこには、社の前で笑う少年時代の自分が写っていた。そして、背景の木々の間に、黒い着物の女が立っていた。悠斗はアルバムを閉じ、静かに目を閉じた。どこか遠くで、女の笑い声が聞こえた気がした。

集落は今、過疎化が進み、社はさらに朽ちているという。だが、村を訪れた者は、夜になると社の奥から囁き声が聞こえると語る。誰も近づかなくなったその場所で、呪いは今も生きているのかもしれない。

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