朽ちゆく社の囁き

オカルトホラー

今から20年ほど前、茨城県の山奥に住む私は、大学を卒業して地元に戻ったばかりだった。実家は小さな集落の外れにあり、周囲は鬱蒼とした森に囲まれている。夜ともなれば、獣の遠吠えや虫の声が響き、都会の喧騒を知る私にはどこか不気味に感じられた。

ある晩、幼馴染のKから電話がかかってきた。彼は地元の林業会社で働き、よく山の話を聞かせてくれた。「お前、最近あの神社行ったか?」と彼が尋ねてきた。私は首を振った。集落の裏山にある古い社は、子供の頃は冒険の場所だったが、今は誰も近づかない。朽ちかけた鳥居と苔むした石段、社の周りに漂う異様な静けさ。子供心にも何かおかしいと感じていた。

「なんかさ、最近あの辺で変な話があってな」Kの声はどこか緊張していた。「夜中に女の声が聞こえるって。笑い声みたいな、でも誰もいないんだよ」私は笑って流そうとしたが、彼の真剣な口調に引き込まれた。「で、明日、ちょっと見てこねえ?お前も気になってるだろ」

翌日、夕暮れ時、私とKは懐中電灯を手に裏山へ向かった。秋の風が冷たく、木々の間を抜ける音が不気味に響く。石段を登り、鳥居をくぐると、社の周囲はまるで時間が止まったような静寂に包まれていた。Kが「ほら、ここ」と指さしたのは、社の裏に立つ古い杉の木だった。根元に小さな石の祠があり、苔と蔦に覆われている。「この祠、昔からあったっけ?」私は首をかしげた。Kも「わかんねえけど、なんか嫌な感じするな」と呟いた。

その夜、帰宅してから妙な感覚に襲われた。部屋の空気が重く、耳元で微かな囁き声が聞こえる気がした。寝付けないまま朝を迎えたが、疲れ果てていた私はそれを夢だと決めつけた。しかし、翌日、Kから再び連絡があった。「お前、昨夜何か変なことなかった?」彼の声は震えていた。「俺、夢見たんだ。女が立ってて、笑いながら俺のこと見てた。目が…目が真っ黒だった」

ぞっとした。私も似たような夢を見ていた。女の姿は朧げだったが、黒い着物をまとい、顔は白く、目はまるで底なしの闇のようだった。その日から、妙なことが続いた。夜中に家の外で足音が聞こえたり、窓の外に人影らしきものがちらついたり。Kも同じような体験をしていると言い、二人で再び神社へ行くことにした。

今度は昼間に訪れたが、社の雰囲気は前回以上に異様だった。風がないのに木々が揺れ、祠の周囲には妙な臭いが漂っていた。Kが「これ、開けてみるか?」と祠に手を伸ばした瞬間、背後でガサッと音がした。振り返ると、誰もいない。だが、明らかに何かが動いた気配があった。「やめようぜ、ここやばいよ」私が言うと、Kも頷き、急いで山を下りた。

その夜、Kから連絡はなかった。翌朝、彼の家を訪ねると、彼の母親が青ざめた顔で出てきた。「Kが…昨夜から帰ってないの」心臓が締め付けられる思いだった。警察に連絡し、集落の男たちと山を探したが、Kの姿はどこにもなかった。唯一見つかったのは、社の裏の祠の前に落ちていた彼のライターだった。

それから数日、私はKの行方を追うため、集落の古老に話を聞きに行った。80歳を過ぎるその老人は、目を細めてこう語った。「あの社はな、昔、村の厄を封じるために建てられたんだ。祠には、村を守るための生贄の魂が閉じ込められてる。だが、長い年月で封印が弱まり、時折そいつが外に出てくる」私は信じられなかったが、老人の目は本気だった。「お前も気をつけな。あの女に見られたら、終わりだ」

その言葉が頭から離れなかった。夜、部屋にいると、窓の外で笑い声が聞こえた。低く、喉の奥から絞り出すような声。恐る恐るカーテンを開けると、そこには誰もいなかった。だが、窓ガラスに映る自分の顔の横に、黒い目の女が立っているのが見えた。心臓が止まりそうになり、咄嗟に目を閉じた。どれだけ時間が経ったか、恐る恐る目を開けると、女の姿は消えていた。

それ以来、私は集落を出た。実家には二度と戻っていない。あの社のことは忘れようとしたが、時折、夢の中であの女が現れる。黒い目で私を見つめ、笑いながらこう囁く。「お前も連れてくよ」と。今でも、夜中にふと目が覚めると、耳元でその声が聞こえる気がして、背筋が凍るのだ。

Kの行方は、結局わからなかった。警察は山での遭難だと結論づけたが、私は信じていない。あの祠、あの社、そしてあの女。あれはただの迷信なんかじゃない。茨城の山奥には、今も何か得体の知れないものが潜んでいる。私はそう確信している。

そして、もしあなたがあの集落を訪れることがあれば、裏山の社は絶対に近づかないでほしい。夜中に女の笑い声を聞いたら、もう手遅れかもしれない。

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