朽ちた信号機の囁き

SFホラー

佐賀県の山間部、鳥栖市からほど近い小さな集落に、今から20年ほど前、私がまだ高校生だった頃の話だ。

その集落は、普段は穏やかな田園風景が広がる場所だったが、夜になるとどこか異様な雰囲気を漂わせていた。特に、集落の外れにある古い一本道——地元では「朽ち道」と呼ばれる細い舗装路——は、誰もが避けて通る場所だった。道の突き当たりには、錆びついた信号機がポツンと立っていて、なぜかいつも赤信号のままだった。夜になると、その信号機の赤い光が、まるで生きているかのように脈打つように揺らめくのだと、年寄りたちは囁いていた。

私は当時、好奇心旺盛で、友達と一緒に「怖いもの見たさ」でその道を訪れる計画を立てた。メンバーは私を含めて4人。リーダー格のタケシ、いつもふざけて場を和ませるユウジ、慎重派のマサト、そして私だ。夏休みの終わり、8月の蒸し暑い夜、私たちは懐中電灯を手に、朽ち道の入り口に集まった。

「本当にやるのかよ?なんかヤバそうな雰囲気だぞ」
ユウジが冗談めかして言ったが、声にはどこか緊張が混じっていた。確かに、入り口に立つと、道の奥から冷たい風が吹いてくるような感覚があった。月明かりに照らされた道は、まるで黒い川のように静かに流れているようだった。

「ビビるなよ。信号機まで行って写真撮って帰るだけだろ」
タケシが強がって先頭に立ち、私たちはぞろぞろと歩き始めた。道の両側には雑草が生い茂り、時折、虫の鳴き声が不自然に途切れるのが気になった。歩くたびに、砂利がカサカサと音を立て、まるで誰かが後ろをついてくるような錯覚に襲われた。

10分ほど歩いただろうか。朽ちた信号機が見えてきた。赤い光は、確かに不気味だった。点滅するでもなく、ただじっと赤く輝いているのに、なぜか揺れているように見える。近くには古い電柱が傾いて立っていて、電線は切れて地面に垂れ下がっていた。

「これ、動いてねえよな?ただの信号機だろ?」
マサトが信号機を指さして言ったが、声は震えていた。私はカメラを取り出し、シャッターを切った。フラッシュが光ると、一瞬、信号機の周りに何か黒い影が浮かんだ気がしたが、すぐに消えた。錯覚だ、と思い込もうとした。

その時、信号機から低い音が聞こえた。

ブーン……ブーン……

まるで古い機械が無理やり動いているような、唸る音。4人とも凍りついた。音は信号機そのものから発しているようだった。ユウジが後ずさりながら言った。

「な、なんだよこれ……帰ろうぜ、な?」

だが、タケシは意地を張った。

「こんなんでビビってたら笑いものだろ。もうちょっと近くで見てみる」

彼は信号機に近づき、錆びた表面を叩いた。すると、音が一瞬止まり、次の瞬間、信号機の赤い光が急に明るくなった。まるで血が滲むような、濃い赤色だ。そして、信号機のガラス面に、何か映り込んだ。

人間の顔だった。

目がなく、口だけが大きく裂けた、歪んだ顔。ガラスの中でゆっくりと動いている。私たちは悲鳴を上げ、逃げようとしたが、足がすくんで動けなかった。信号機の唸り声はどんどん大きくなり、まるで私たちを飲み込むように響いた。

「走れ!」
マサトが叫び、ようやく体が動いた。私たちは一目散に道を引き返した。背後では、信号機の光が追いかけてくるような気がした。振り返ると、赤い光が道全体を染め、まるで生き物のように蠢いていた。

集落に戻った時、4人とも汗だくで息を切らしていた。ユウジは泣きながら「二度と行かねえ」と繰り返し、タケシも普段の強気な態度が消え、青ざめた顔で黙り込んでいた。私は家に帰り、カメラのフィルムを確認したが、信号機の写真は真っ黒で、何も写っていなかった。

それから数日後、奇妙なことが起こり始めた。タケシが「夜中に信号機の赤い光が部屋の窓に映る」と言い出したのだ。最初は冗談だと思ったが、彼の目は本気だった。ユウジも「誰かが家の周りを歩く音がする」と怯え、マサトは「夢の中であの顔が笑ってる」と話した。私も、夜になると耳元でブーンという機械音が聞こえるようになった。

そして、1週間後の夜、タケシが行方不明になった。

彼の家を訪ねると、部屋の窓ガラスに赤い光が映り込んでいた。警察は「家出だろう」と結論づけたが、私たちにはわかっていた。あの信号機が彼を連れ去ったのだ。

それから、ユウジとマサトも次々と姿を消した。ユウジは最後に「赤い光が俺を呼んでる」と電話で呟き、マサトはメモに「あの顔が家に来る」とだけ書いて消えた。私は恐怖に耐えきれず、集落を離れ、親戚の家に身を寄せた。

今、20年が経ち、私はあの夜のことを思い出すたびに震えが止まらない。あの信号機は、ただの機械ではなかった。まるで別の世界と繋がっているかのように、私たちを引きずり込もうとしていた。あの赤い光は、まるで宇宙の果てから届く信号のようだった。

最近、佐賀県に帰る機会があった。朽ち道は今も存在し、信号機もまだ立っていると聞いた。ただし、地元の人々は誰も近づかない。噂では、夜になると信号機が勝手に動き出し、赤い光が道を這うように広がるという。

私は二度とあの道に足を踏み入れるつもりはない。だが、時折、夜中に目を覚ますと、遠くでブーンという音が聞こえる気がする。そして、窓の外に、赤い光が揺らめいているような錯覚に襲われるのだ。

あの信号機は、まだ私を待っているのかもしれない。

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