凍える夜の足音

実話風

20年前の青森の冬は、骨まで凍るような寒さだった。

その年、私は小さな漁村に住む高校生だった。村は海に面し、背後には雪に覆われた山々がそびえている。冬になると、村は雪と霧に閉ざされ、まるで世界から切り離されたかのようだった。私の家は村の外れにあり、夜になると海風が窓を叩き、どこか遠くで響く波の音が不気味に聞こえた。

ある晩、いつものように塾から帰るため、雪道を自転車で走っていた。時刻は夜の9時を少し過ぎた頃。街灯はまばらで、雪が光を吸い込むように暗闇が広がっていた。道の両側には雪に埋もれた田んぼが広がり、遠くに山の稜線がかすかに見えるだけ。風が強くなり、雪が顔に当たってチクチクと痛んだ。

その時、背後で奇妙な音がした。カサ…カサ…。まるで誰かが雪を踏む音。振り返ったが、誰もいない。街灯の光が雪に反射し、道は白く光っているだけだった。「風の音かな」と自分を納得させ、ペダルをこぎ続けた。でも、音は止まなかった。カサ…カサ…。今度はもっと近く、すぐ後ろで聞こえる。私は心臓がドクンと跳ねるのを感じ、思わず自転車を止めた。

「誰かいるの?」

声は雪に吸い込まれ、返事はない。辺りは静かで、風の音すら止んでいた。息が白く凍り、冷気が肺に刺さる。すると、まただ。カサ…カサ…。今度は右側、田んぼの奥から聞こえてくる。私は自転車を降り、懐中電灯を握りしめて光を向けた。雪原には何もない。ただ、遠くの山から霧が下りてきているのが見えた。霧はまるで生きているようにうごめき、雪の上を這うように広がっていた。

恐怖が背筋を這い上がった。私は自転車に飛び乗り、必死でペダルをこいだ。家まであと2キロ。早く、早く帰らなきゃ。カサ…カサ…。音は追いかけてくる。時折、左側や右側、まるで私を囲むように移動している。息が乱れ、汗が冷たく頬を伝った。やっと家の明かりが見えた時、音がピタリと止んだ。

家に飛び込み、鍵をかけた。母が台所で夕飯の支度をしていた。「遅かったね。雪がひどいから気をつけなさい」と言われたが、私は恐怖で言葉が出なかった。ただ、窓の外をチラリと見た。雪が降り続け、庭は白く埋もれている。誰もいない。ホッとした瞬間、窓の外でカサ…カサ…と音がした。凍りついた私は、窓に近づく勇気すらなかった。

その夜、眠れなかった。布団の中で、耳を澄ませていた。時折、家の周りでカサ…カサ…と雪を踏む音が聞こえた。朝になり、雪が止んだ。外を見ると、庭には足跡がなかった。まるで何もなかったかのように、雪はきれいに積もっていた。

数日後、村の古老から奇妙な話を聞いた。20年前、村の外れで若い女が雪に埋もれて死んだという。彼女は恋人に裏切られ、雪の夜に家を飛び出し、そのまま行方不明になった。以来、雪の深い夜には、彼女の霊が村を彷徨うという。「足音が聞こえたら、絶対に振り返っちゃいけない。振り返ると、彼女の顔が目の前にあって、連れていかれるよ」。古老の目は真剣だった。

私はあの夜のことを思い出し、背筋が凍った。あの音は、彼女だったのか? 振り返らなくてよかったのか、それとも、すでに彼女に見つかってしまったのか。以来、雪の夜は外に出るのが怖くなった。家の中でも、窓の外でカサ…カサ…と音が聞こえるたび、彼女がそこにいる気がしてならない。

今でも、雪の降る夜には、あの足音が聞こえることがある。カサ…カサ…。近づいてくる、凍える夜の足音。振り返る勇気はない。ただ、祈るだけだ。どうか、私を見つけないでくれ、と。

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