廃神社に響く子守唄

オカルトホラー

それは今から10年ほど前、岡山県の山間部にひっそりと佇む小さな集落での出来事だった。

私と友人のKは、大学の夏休みを利用して、Kの故郷であるその集落を訪れていた。Kの実家は、集落の外れにあり、周囲を深い森に囲まれていた。昼間はのどかな田園風景が広がるが、夜になると闇が全てを飲み込み、まるで別の世界に迷い込んだような静けさが支配する。Kは子供の頃、この集落で育ったが、大学進学を機に都会に出て以来、ほとんど帰省していなかった。「なんか懐かしいけど、ちょっと不気味な感じもするよな」とKは笑いながら言ったが、その目はどこか遠くを見ているようだった。

到着した初日の夜、Kの両親が用意してくれた夕食を囲みながら、昔話に花が咲いた。Kの父親が、集落の奥にある古い神社について話し始めた。「あそこはもう何十年も使われてない。昔は村の守り神を祀ってたけど、今は誰も近づかないよ」と父親は低い声で言った。母親が慌てて「そんな話、若い子にしないでよ」とたしなめたが、Kは興味津々で「へえ、なんか面白そうじゃん。どんなとこ?」と身を乗り出した。父親は少し渋い顔をしたが、「まあ、ただの廃墟だ。子供の頃、肝試しで行ったことあるけど、何もなかったよ。ただ、変な噂はある」と言葉を濁した。その「変な噂」が何か、Kが食い下がって聞こうとしたが、父親はそれ以上話さず、話題を変えてしまった。

その夜、Kの部屋で寝る準備をしながら、私はあの神社の話が頭から離れなかった。Kも同じだったらしい。「なあ、明日、あの神社行ってみねえ?」とKが急に提案してきた。私は少し躊躇したが、Kの好奇心に満ちた顔を見ると、断るのも気が引けた。「まあ、昼間なら平気だろ」と自分に言い聞かせ、行くことにした。

翌日の午後、私たちは集落の裏手にある山道を登り始めた。夏の日差しは強いが、森の中はひんやりとしていて、木々の間を抜ける風がどこか不自然に冷たく感じられた。道は荒れ放題で、雑草や倒木が道を塞ぎ、まるで誰かが「ここに来るな」と言っているかのようだった。Kは「こんなとこ、子供の頃はよく遊んだのに、今見るとめっちゃ不気味だな」と笑ったが、その声には少し緊張が混じっていた。

30分ほど歩くと、森の奥にひっそりと佇む神社が見えてきた。鳥居は苔に覆われ、傾いて今にも倒れそうだった。本殿は木造で、屋根には穴が空き、壁は風雨に晒されて黒ずんでいる。境内には雑草が生い茂り、かつての神聖さは微塵も感じられなかった。なのに、なぜかそこに立つだけで、背筋に冷たいものが走った。Kも同じように感じたのか、「なんか…変な感じするな」と呟いた。

私たちは恐る恐る境内に入った。足元で枯れ葉がカサカサと音を立てるたびに、心臓が跳ねる。Kが「ほら、ただの廃墟じゃん」と強がって本殿に近づいた瞬間、どこからか低い唸り声のような音が聞こえてきた。私たちは一瞬で凍りついた。「…何、今の?」と私が囁くと、Kは「風…だろ、多分」と答えたが、その声は震えていた。音はすぐに止んだが、まるで誰かに見られているような感覚が消えなかった。

本殿の扉は半開きで、中は真っ暗だった。Kがスマホのライトを点けて中を照らすと、埃と蜘蛛の巣に覆われた祭壇が見えた。だが、その祭壇の中央に、異様なものがあった。古びた人形だった。髪はぼさぼさで、顔は汚れで黒ずみ、片方の目は欠けている。それなのに、その人形の残った目は、まるで私たちを睨んでいるように見えた。「何これ…誰がこんなとこに置いたんだよ」とKが呟いた瞬間、人形の首がカクンと動いた気がした。私は悲鳴を上げそうになったが、Kが「落ち着け、風だろ!」と自分に言い聞かせるように叫んだ。でも、風なんて吹いていなかった。

その時、どこからか子守唄のようなメロディが聞こえてきた。低く、掠れた声で、まるで誰かが遠くで歌っているようだった。「ねんねんころりよ…おころりよ…」その声は、ゆっくりと、しかし確実に近づいてくる。私の体は動かなくなり、Kも立ち尽くしていた。「逃げよう!」と私がやっとの思いで叫んだ瞬間、背後でガサッと音がした。振り返ると、誰もいない。だが、子守唄はまだ続いていた。

私たちは一目散に神社を飛び出し、森を駆け下りた。どれだけ走ったかわからない。集落に戻った時、Kの両親が心配そうな顔で迎えた。「どこ行ってたんだ! あんなとこ行っただろ!」と父親が怒鳴った。私たちは震えながら神社のことを話した。父親の顔がみるみる青ざめ、「あそこには…行っちゃいけないんだ」とだけ言った。その夜、Kの両親は私たちに集落の外のホテルに泊まるよう強く勧め、ほとんど追い出すようにして送り出した。

後日、Kが父親に電話で神社のことを詳しく聞いた。父親は渋々話したそうだ。数十年前、その神社で若い母親が我が子を亡魂として祀るため、禁忌の儀式を行ったという。だが、儀式は失敗し、母親は正気を失い、子守唄を歌いながら森を彷徨った末、行方不明になった。それ以来、神社では子守唄が聞こえ、近づく者を呪う存在が棲みついたという。父親は「だから誰も近づかないんだ。あの人形は…多分、その母親が置いたものだ」と震える声で言った。

私とKはその後、あの集落には二度と戻っていない。だが、今でも時折、夜中にあの掠れた子守唄が耳に蘇る。あの人形の目が、私をまだ見ている気がして、夜が怖くてたまらない。

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