福井県の山間部に、ほとんど人が通らない古い県道がある。地元では「幽霊道」と呼ばれ、夜になると霧が立ち込め、道沿いの木々がざわめくような音を立てる。特に、道の途中にぽっかりと口を開ける廃トンネルは、誰も近づかない場所として知られていた。トンネルは数十年前、土砂崩れで出口が塞がれ、使われなくなったものだ。だが、なぜか地元の人々は、そのトンネルを避ける理由を口にしない。ただ、「行くな」とだけ言うのだ。
私には、大学時代の友人であるユウキがいた。彼はアウトドア好きで、廃墟や心霊スポット巡りが趣味だった。ある夏、ユウキが「福井の山奥にヤバいトンネルがあるらしい」と興奮気味に話してきた。SNSで流れてきた噂を元に、彼はすでにその場所を特定していた。私はホラーやオカルトには興味がなかったが、ユウキの熱意に押され、週末にそのトンネルへ行くことになった。もう一人、ユウキの後輩で、霊感があると自称するミサキも同行することになった。
その日、午後遅くに私たちは車で県道を走っていた。カーナビは途中で信号を失い、頼りになるのはユウキがメモした大まかな道順だけだった。山道は狭く、カーブが多く、木々の隙間から差し込む陽光が不気味に揺れていた。やがて、トンネルの入り口が見えた。コンクリートはひび割れ、苔に覆われ、入り口の上には錆びた鉄板が半分落ちかかっていた。トンネルの奥は真っ暗で、懐中電灯の光すら飲み込まれそうな闇が広がっていた。
「ここ、めっちゃ雰囲気あるな!」ユウキは目を輝かせ、さっそくトンネルの中へ入ろうとした。私は嫌な予感がしたが、ミサキが「何か変な感じがする」と呟いたことで、ますます不安が募った。それでも、ユウキの勢いに押され、私たちはトンネルに足を踏み入れた。
トンネルの中はひんやりと冷たく、湿った空気が肌にまとわりついた。懐中電灯の光で照らされる壁には、落書きやひび割れが浮かび上がり、時折、水滴がポタポタと落ちる音が響いた。ミサキは黙り込み、時折後ろを振り返っていた。「何か聞こえない?」と彼女が小声で言った瞬間、ユウキが「ただの水の音だろ」と笑った。だが、私にも確かに、何か遠くで囁くような声が聞こえた気がした。
トンネルの奥に進むにつれ、異変が起きた。懐中電灯の光がチラチラと揺れ始め、ユウキの持っていたライトが突然消えた。「電池切れかよ!」と彼が悪態をついたが、予備のライトも点かなかった。その時、ミサキが小さな悲鳴を上げた。「あそこ!何かいる!」彼女が指さす先、トンネルの奥に、白い影が一瞬だけ見えた。ユウキは「マジか!」と興奮したが、私は背筋が凍る思いだった。
「もう戻ろう」と私が提案したとき、トンネルの奥から、はっきりと声が聞こえた。「…ここに…いる…」。それは、低く、まるで喉の奥から絞り出すような声だった。ユウキでさえ言葉を失い、ミサキは震えながら私の腕をつかんだ。次の瞬間、トンネルの壁から、ガリガリと何かを引っかくような音が響き始めた。音は徐々に近づいてくる。私たちは一斉に出口の方へ走ったが、なぜか出口が遠く感じられた。まるでトンネルが伸びているかのように。
やっとの思いで出口にたどり着いたとき、ミサキが叫んだ。「私のカバンがない!」彼女はトンネルの中でカバンを落としたらしい。「置いてこう!」と私が言うと、ユウキが「いや、俺が取ってくる!」とトンネルへ戻ろうとした。その瞬間、トンネルの奥から、けたたましい笑い声が響いた。それは人間の声とは思えない、甲高く、狂気じみた笑いだった。私たちはユウキを無理やり引きずり、車に飛び乗ってその場を後にした。
翌日、ユウキは一人でトンネルに戻ると言い出した。私は止めたが、彼は「カバンの中のカメラに何か映ってるかもしれない」と聞く耳を持たなかった。ミサキも「行かないで」と泣きながら頼んだが、ユウキは笑って「すぐ戻るよ」と言って出かけて行った。それが、彼を見た最後だった。
数日後、ユウキの車がトンネル近くの林道で発見されたが、彼の姿はどこにもなかった。警察の捜索も空しく、ユウキは行方不明のままだった。ミサキはそれ以来、夜になるとトンネルで聞いた笑い声が頭から離れないと言い、精神的に不安定になった。私は、ユウキが残したSNSのアカウントを時折チェックするが、トンネルに行った日の投稿以降、何も更新されていない。
それから数ヶ月後、私は地元の古老にトンネルのことを聞いてみた。すると、彼女は顔を曇らせ、「あのトンネルには、昔、閉じ込められた人たちの怨念が残ってる」と語った。土砂崩れで閉じ込められた作業員たちが、助けを求める声を残したまま死に、その声が今もトンネルに響いているのだという。「あの笑い声は、怨念が人を引きずり込むための誘いだよ」と彼女は付け加えた。
今でも、夜になると、あのトンネルで聞いた囁きや笑い声が耳に蘇る。あの場所には二度と近づかないと心に誓ったが、ユウキのことが頭から離れない。彼は今、どこにいるのか。いや、そもそも彼はまだ「この世界」にいるのだろうか。
福井の山奥に、誰も近づかない廃トンネルがある。もし、あなたがその県道を通ることがあれば、決してトンネルに近づかないでほしい。そこには、あなたを待ち構える「何か」がいるかもしれない。