朽ちた社の囁き

オカルトホラー

宮城県の山奥、鬱蒼とした森に囲まれた集落があった。そこは外界との繋がりが薄く、携帯の電波も届かない場所。古びた木造の家々が点在し、住民たちは静かな暮らしを営んでいた。集落の外れには、苔むした石段が続く小さな社があった。社は朽ち果て、屋根には穴が開き、祭壇には埃が積もっていた。村の老人たちは、若い者に「あの社は近づくな」と口酸っぱく言い聞かせていたが、理由を尋ねても誰も答えなかった。ただ、目を逸らし、口を閉ざすだけだった。

ある夏の夜、集落に住む少年が、仲間たちと肝試しをしようと提案した。彼は都会から引っ越してきたばかりで、村のしきたりや言い伝えを軽んじていた。少年は、社の存在を聞きつけ、「あのボロい社に行ってみようぜ。絶対何もないって」と笑いながら仲間を誘った。仲間たちは渋々ながらも、好奇心に負けて同意した。夜の森は静寂に包まれ、虫の声すら途絶えていた。懐中電灯の光を頼りに、少年たちは石段を登り始めた。

石段は異様に長く、苔で滑りやすかった。懐中電灯の光が届かない暗闇の中、風もないのに木々がざわめく音が聞こえた。「何か変じゃね?」と一人が囁いたが、少年は「ビビってんのかよ」と笑い飛ばした。ようやく社の前にたどり着いたとき、仲間の一人が小さな鈴の音を聞いたと言った。だが、社には鈴などなかった。少年は構わず社の扉を開けた。軋む音とともに、埃とカビの匂いが鼻をついた。祭壇には何も祀られていなかったが、床には奇妙な模様が刻まれていた。円形に並んだ記号のようなものだった。

「何だこれ? 呪文みたいだな」と少年が冗談めかして言った瞬間、背後でガサッと音がした。振り返ると、誰もいなかった。仲間たちは社の外にいるはずだったが、呼びかけても返事がない。「おい、ふざけんなよ!」と少年が叫ぶと、突然、懐中電灯がチカチカと点滅し、消えた。暗闇の中で、少年は自分の荒い息遣いだけを聞いた。いや、息遣いではない。誰かの、ゆっくりとした吐息が耳元で聞こえた。「誰だ!?」と叫んだが、声は虚しく社内に響くだけだった。

そのとき、床の模様が淡く光り始めた。青白い光が記号をなぞるように広がり、少年の足元を這った。凍りついた少年の視界に、祭壇の奥から何かが出てきた。黒い影のようなものだった。それは人の形をしていたが、輪郭がぼやけ、顔はなかった。影は少年に近づき、囁くような声を発した。「お前が…呼んだ…」その声は少年の頭の中で直接響いているようだった。恐怖で動けない少年の前で、影はゆっくりと手を伸ばした。その手が触れた瞬間、少年の意識は途切れた。

翌朝、少年は集落の入り口で倒れているところを発見された。目は虚ろで、口から涎を垂らし、何かをブツブツと呟いていた。仲間たちは見つからなかった。少年はそれ以来、言葉を失い、ただ怯えた目で虚空を見つめるだけになった。村の老人たちは少年の姿を見て、ただ首を振った。「言っただろう。あの社は近づくなと」と。

それから数年、集落では奇妙な出来事が続いた。夜になると、森の奥から鈴の音が聞こえるようになった。音は決まって真夜中に響き、聞く者を不安にさせた。ある者は、森の中で黒い影を見たと証言した。影は人を模していたが、顔がなく、ただじっとこちらを見つめていたという。集落の若者たちは次第に村を離れ、残った老人たちも口を揃えて「あの社は生きている」と囁いた。

ある冬の夜、集落に住む老女が語った。「あの社は、昔、村の罪を封じるために建てられた。だが、封じたものは神ではなく、もっと古いものだ。人の心を喰らい、恐怖を糧にするものだ」と。老女は、社の床に刻まれた模様は、封印のための呪文だったが、少年が社に足を踏み入れたことで封印が弱まったのだと言った。「あれはもう、目覚めちまった。誰かがまた、社に近づけば、もっと悪いことが起こる」と。

それでも、好奇心旺盛な者たちは後を絶たなかった。ある者は、社の周りで写真を撮ったが、フィルムには黒い影しか映っていなかった。またある者は、社に近づいた夜、夢の中で顔のない者に追いかけられたと震えながら語った。集落の外から来た者たちは、村の噂を聞きつけ、肝試しに訪れることもあったが、誰も社から無事に帰ることはなかった。行方不明になる者、気が触れる者、そして、ただ黙り込む者。誰もが、何かを見てしまったのだ。

今もなお、宮城県のその集落はひっそりと存在している。社は朽ちたまま、森の奥に佇んでいる。地元の者たちは決して近づかないが、時折、よそ者が興味本位で石段を登っていく。彼らがどんな結末を迎えるのか、誰も知らない。ただ、夜になると、森の奥から鈴の音が響き、黒い影が木々の間を漂うという。あなたがもし、宮城県の山奥で、苔むした石段を見つけたなら、決して登らないでほしい。そこには、あなたの心を喰らうものが、静かに待っているのだから。

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