今から数十年前、宮城県の山あいにひっそりと佇む小さな町に、古びた木造の校舎があった。この校舎は、昼間は子供たちの笑い声で賑わう普通の小学校だったが、夜になると、まるで別世界のような不気味な静寂に包まれた。地元の者たちは、校舎の裏にある古い松の木の下で、かつて悲しい出来事があったと囁き、夜遅くに校舎に近づくことを避けていた。
その頃、中学に進学したばかりの少年、タケルは、好奇心旺盛で怖いもの知らずだった。夏休みの夜、仲間たちと肝試しをしようと盛り上がり、誰もが恐れるあの校舎に忍び込む計画を立てた。仲間はタケルを含めて4人。リーダー格のユウト、気弱だが優しいマサル、そして少し大人びた雰囲気の少女、ナツミだ。4人は懐中電灯を手に、夜の闇に紛れて校舎の裏門へと向かった。
校舎の裏門は錆びついた鉄格子で閉ざされていたが、隙間からなんとか潜り込めた。校舎の周りは雑草が生い茂り、風が吹くたびに松の木が不気味に揺れた。タケルは少し胸が高鳴るのを感じながらも、仲間たちと笑い合い、緊張を紛らわした。校舎の玄関は古い木製の引き戸で、鍵はかかっていなかった。ユウトが「やるぞ!」と気合を入れると、4人は一斉に校舎の中へと足を踏み入れた。
校舎の中は、昼間の明るさとは打って変わって、冷たく湿った空気が漂っていた。懐中電灯の光が廊下の古い木の床を照らすと、埃が舞い上がり、まるで時間が止まったかのような雰囲気が漂った。4人は2階の教室を目指し、きしむ階段を登った。2階の廊下は長い一本道で、両側に教室が並んでいる。どの教室もカーテンが閉まり、窓から差し込む月明かりが薄暗い影を作り出していた。
「なんか、変な感じしない?」ナツミが小声で呟いた。彼女の声には、普段の落ち着きとは異なる不安が滲んでいた。タケルも同じように感じていたが、怖がっていると思われたくなくて「大丈夫だよ、ただの古い建物だ」と強がった。だが、その言葉を言い終わる前に、どこからか「カツン、カツン」という音が聞こえてきた。まるで誰かが硬い靴で廊下を歩くような、規則正しい足音だった。
4人は一斉に懐中電灯を音のする方へ向けたが、長い廊下には誰もいなかった。ユウトが「風の音だろ」と笑いながら言ったが、声は少し震えていた。足音は一瞬止まり、4人が安堵しかけたその瞬間、再び「カツン、カツン」と響き始めた。今度は明らかに近づいてくる。タケルは背筋が凍るのを感じた。マサルは「帰ろうよ、もうやめよう」と懇願したが、ユウトは「こんなんでビビってどうする!」と強引に皆を引っ張り、奥の教室へと進んだ。
教室のドアを開けると、中は意外にも整然としていた。机と椅子がきちんと並び、黒板にはチョークで書かれた文字がうっすら残っている。だが、教室の空気は異様に重く、まるで誰かに見られているような感覚が4人を襲った。ナツミが「ここ、なんかヤバいよ」と囁くと、突然、教室の奥の窓がガタガタと揺れ始めた。風もないのに、まるで誰かが窓を叩いているかのようだった。
「カツン、カツン」
足音が再び聞こえてきた。今度は教室のすぐ外、廊下のすぐ近くからだ。タケルは懐中電灯を握りしめ、ドアの方を見た。ドアのガラス窓越しに、ぼんやりとした影が動いているのが見えた。人間の形をしているが、どこか不自然で、まるで宙に浮いているかのように揺れている。マサルは恐怖で声を上げ、ナツミはタケルの腕を強く掴んだ。ユウトでさえ、顔が青ざめていた。
「誰かいるのか!?」ユウトが叫んだが、返事はない。代わりに、影がゆっくりとドアに近づいてくるのが見えた。ガラス窓に映る影は、長い髪を垂らし、顔は見えないが、異様に白い手がドアの取っ手を掴もうとしているように見えた。タケルは咄嗟に「逃げろ!」と叫び、4人は一斉に教室の奥へと駆け込んだ。
だが、教室の奥にはもう一つのドアがあった。そこは普段使われていないはずの、校舎の古い資料室に繋がる扉だった。ユウトが勢いでそのドアを開けると、4人は中へと飛び込んだ。資料室は狭く、埃っぽい空気が充満していた。古い教科書や書類が山積みになり、棚には壊れた教材や古い写真が無造作に置かれていた。4人は息を殺し、ドアの向こうの気配に耳を澄ませた。
しばらくすると、足音は止まった。だが、安心する間もなく、資料室のドアがゆっくりと開き始めた。誰も触っていないのに、まるで誰かに押されているかのように、ドアが軋みながら開いていく。タケルは懐中電灯を向けたが、光はドアの向こうの暗闇を照らすだけで、何も映し出さなかった。ナツミが小さな悲鳴を上げ、マサルは泣き始めていた。
その時、資料室の棚に置かれた古い写真が、突然床に落ちた。タケルが恐る恐るその写真を拾い上げると、そこには白黒の古い写真が写っていた。数十年前の生徒たちと教師が、校舎の前で笑顔で並んでいる。だが、写真の端に、一人だけ不自然な姿の少女が映っていた。顔はぼやけ、長い髪が顔を覆い、白い手が不気味に垂れ下がっている。タケルは写真を落とし、仲間たちに「これ、見ろ!」と叫んだ。
ナツミが写真を見た瞬間、彼女の顔から血の気が引いた。「この子…さっきの影に似てる…」彼女の声は震えていた。その瞬間、資料室の電気が突然点滅し始め、部屋全体が不気味な赤い光に包まれた。4人は恐怖で動けなくなり、ただ互いに身を寄せ合った。すると、どこからか小さな声が聞こえてきた。
「かえして…かえして…」
少女の声だった。まるで耳元で囁かれているかのように、4人全員がその声を聞いた。タケルは写真を握りしめ、「何を返すんだ!?」と叫んだが、声は虚しく響くだけだった。突然、資料室のドアがバン!と大きな音を立てて閉まり、4人は完全に閉じ込められた。電気が消え、懐中電灯の光だけが頼りだった。
その後、4人はどうやって校舎から脱出したのか、誰も正確には覚えていない。気がつくと、朝日が昇る中、校舎の裏門の外に倒れ込んでいた。4人とも泥だらけで、服は破れ、恐怖で震えていた。タケルが握りしめていた写真はどこにもなく、代わりに彼の手には、誰かの長い黒髪が絡みついていた。
それ以来、4人は校舎の話を二度としなかった。だが、タケルは時折、夜中に「カツン、カツン」という足音を聞くことがあった。窓の外を見ても誰もいないのに、まるで誰かがすぐそばに立っているような気配を感じた。そして、毎年夏になると、校舎の裏の松の木の下で、誰かが泣いているような声が聞こえるという噂が、町に広がり続けた。
今もその校舎は残っているが、子供たちは誰も近づかない。地元の老人たちは、こう言う。「あの校舎には、忘れられた誰かがまだいる。夜に近づけば、彼女の足音が聞こえるよ」