数年前、徳島の田舎町に住む私は、都会から移り住んできたばかりだった。新しい生活に慣れるため、夜遅くまで仕事をすることが多かった。私の家は町外れにあり、帰り道には古い踏切を渡る必要があった。その踏切は、昼間でもどこか薄暗く、木々に囲まれているせいで風が吹くと不気味な音がした。地元の人たちは「夜は近づかない方がいい」と言うが、仕事で遅くなる私はそんな話に耳を貸さなかった。
ある秋の夜、残業を終えて午前1時頃に帰路についた。空は曇り、月明かりもほとんどない。踏切に差し掛かると、いつもより空気が冷たく感じられた。カタン、カタンという音が遠くから聞こえてくる。電車が来る時間ではないはずだ。立ち止まって辺りを見回したが、線路の先は真っ暗で何も見えない。不思議に思いながらも、早く家に帰りたくて踏切を渡り始めた。
その時、背後からかすかな足音が聞こえた。誰かがいるのかと振り返ったが、誰もいない。ただ、暗闇の中で何かが動いたような気がした。視線を戻し、急ぎ足で渡り終えようとした瞬間、目の前に黒い影が立っていた。驚いて立ち止まる。影は人型だったが、顔は見えない。まるで闇そのものが人の形をとったようだった。影はゆっくりとこちらに近づいてくる。足音はしない。なのに、距離が確実に縮まっている。
心臓がバクバクと鳴り、足がすくんだ。「誰だ!何の用だ!」と叫んだが、声は震えていた。影は答えず、ただ近づいてくる。距離が数メートルになった時、影の輪郭が揺らぎ、まるで霧のように広がった。次の瞬間、冷たい風が全身を撫で、耳元で「…帰れ…」という低い声が響いた。声は男とも女ともつかない、不気味な音色だった。
私は一目散に逃げ出した。踏切を渡り終え、振り返ると影は消えていた。だが、背後から再び足音が聞こえてくる。今度ははっきりと、誰かが追いかけてくるような音だ。家まで全力で走り、ドアを閉めて鍵をかけた。息を切らしながら窓の外を見たが、誰もいなかった。ただ、遠くの踏切から、かすかにカタン、カタンという音が聞こえてきた。
翌日、近所のおばさんにその話をすると、彼女の顔が青ざめた。「あそこは昔、事故が多かった場所なのよ」と言う。数十年前、踏切で電車と人が衝突する事故が何度も起きたらしい。亡くなった人の中には、夜道を歩く者を追いかける霊が出ると噂されていた。おばさんは「もう夜は通らない方がいい」と忠告してくれたが、私は仕事上、そうもいかなかった。
それから数日後、再び遅く帰る夜があった。踏切に近づくのが怖かったが、遠回りする道はなく、仕方なく通り過ぎようとした。すると、またあの音が聞こえてきた。カタン、カタン。今度は音が近づいてくる。恐る恐る線路の先を見ると、遠くに赤い光が揺れている。電車のライトではない。もっと小さく、まるで提灯のような光だ。光はゆっくりとこちらに近づいてくる。光の近くに、あの黒い影が立っていた。
私は動けなかった。影が近づくにつれ、赤い光がはっきりと見えた。それは人の顔だった。いや、顔のようなものだった。目が異様に大きく、口が裂けたように広がっている。顔は笑っているようで、どこか怒っているようにも見えた。影と顔が一体となり、私に向かって手を伸ばしてきた。「…一緒に…」 声が頭の中に直接響く。次の瞬間、私は気を失った。
目が覚めた時、私は踏切の真ん中で倒れていた。夜が明けかけ、朝焼けが辺りを薄く照らしていた。体は冷え切り、まるで氷水をかぶったようだった。急いで家に帰り、鏡を見ると、首筋に奇妙な痣ができていた。まるで誰かに掴まれたような跡だった。それ以来、私は夜にその踏切を通るのをやめた。遠回りでも別の道を選んだ。
後日、町の古老に話を聞くと、踏切の霊は「連れて行こうとする」と言う。昔、事故で亡くなった者が、寂しさからか、恨みからか、生きている者を引きずり込もうとするらしい。古老は「無視するのが一番だ。目を合わせたり、声をかけたりしてはいけない」と教えてくれた。だが、一度でも見てしまった者は、霊に「見つかった」状態になる。どこへ行っても、追いかけてくるのだと。
今でも、静かな夜に目を閉じると、あの踏切の音が聞こえる気がする。カタン、カタン。そして、遠くから私の名前を呼ぶ声がする。振り返ってはいけないと分かっている。でも、もしあなたが徳島の田舎町で、夜遅く踏切を渡ることがあれば、背後の音に気をつけてほしい。カタン、カタンという音が聞こえたら、それは電車ではないかもしれない。あなたの名前を呼ぶ声が聞こえたら、決して振り返らないでほしい。影が、あなたを見つめているかもしれない。