呪われた山の呼び声

実話風

秋田の山奥に、誰も近づかない場所がある。地元では「入らずの森」と呼ばれ、昔から不思議な噂が絶えなかった。そこに足を踏み入れた者は、二度と戻らない。あるいは、戻ったとしても、まるで魂を抜かれたように変わってしまうのだと。

俺はそんな話を信じていなかった。都会からこの小さな村に越してきたばかりで、退屈な日々に刺激が欲しかった。村の老人たちは森の話をするたびに目を伏せ、口を閉ざした。でも、俺にはそれがただの迷信にしか思えなかった。ある日、酒の席で若い連中と話していると、誰かが冗談半分に言った。「あの森、行ってみねえ? 本当に何かあるか、確かめてやろうぜ」

その場のノリで決まった。次の週末、俺を含めた四人で森へ行くことになった。メンバーは俺と、地元の幼馴染だという男二人、それにそのうち一人の彼女だ。彼女だけは少し不安そうだったが、男たちの勢いに押されて渋々ついてきた。準備は簡単なものだった。食料、水、懐中電灯。昼間に行くつもりだったから、たいした装備は必要ないと考えていた。

その日、朝から空はどんよりと曇っていた。風が冷たく、どこか不穏な気配が漂っている気がしたが、誰も口には出さなかった。森の入り口は、村から少し離れた山のふもとにあった。そこには古びた鳥居が立っていて、苔むした石段が森の奥へと続いている。鳥居には何の文字もなかったが、ただそこにあるだけで妙な威圧感があった。俺たちは軽口を叩きながら石段を登り始めた。

森の中は驚くほど静かだった。鳥のさえずりも、風の音もほとんど聞こえない。木々の間を縫うように進むと、だんだん空気が重くなってくるのがわかった。最初は冗談を言い合っていた仲間たちも、徐々に言葉数が減っていった。彼女は男の一人にしがみつくように歩いていたが、その顔は青ざめていた。

しばらく進むと、開けた場所に出た。そこには古い祠があった。石でできた小さな祠は、風雨にさらされて角が丸くなり、表面には黒いシミのようなものがこびりついていた。祠の前には小さな供え物台があったが、何も置かれていない。俺はふと、祠の奥に何かがあるような気がして近づいた。すると、かすかにだが、囁くような声が聞こえた気がした。言葉はわからなかったが、低く、粘りつくような響きだった。

「何か…聞こえた?」俺が振り返ると、仲間たちの顔が一斉にこわばった。彼女が震える声で言った。「やだ、帰りたい…ここ、なんか変だよ…」男の一人が無理に笑って、「お前、ビビりすぎだろ。なんちゃないって」と取り繕ったが、その声にもどこか緊張が混じっていた。

それでも俺たちは進むことにした。祠を過ぎると、道はさらに狭くなり、木々が頭上で絡み合うように覆いかぶさってきた。陽光がほとんど届かず、懐中電灯の光だけが頼りだった。すると、突然、彼女が悲鳴を上げた。「何かいた! あそこ! 木の陰に!」俺たちが慌てて光を向けると、そこには何もなかった。ただ、彼女の怯えた顔だけがやけに鮮明だった。

「落ち着けよ、気のせいだろ」男が彼女をなだめたが、俺も何か妙な感覚に襲われていた。背後から、じっと見られているような気配。振り返っても誰もいないのに、視線が突き刺さるような感覚が消えない。それでも、引き返すのはなんとなく悔しくて、俺たちはさらに奥へ進んだ。

どれくらい歩いただろうか。ふと、足元に違和感を覚えた。地面が、妙に柔らかい。よく見ると、そこには小さな骨が散らばっていた。動物のものだろうか。でも、妙に小さく、形が不自然だった。俺がそれを拾おうとした瞬間、背後でガサッと音がした。振り返ると、仲間の一人が立ち尽くしていた。その目が、まるで何かを見ているように大きく見開かれている。「お前…どうした?」俺が声をかけると、彼はゆっくりと指を差した。

そこには、木々の間に立つ影があった。人とも獣ともつかない、輪郭がぼやけた黒い塊。光を当てても、影は消えなかった。それどころか、じわじわと近づいてくるように見えた。彼女が叫び、男たちが慌てて逃げようとしたその時、影が動いた。いや、動いたというより、空間ごと歪んだような感覚だった。次の瞬間、俺たちの目の前で仲間の一人が消えた。まるで、影に飲み込まれるように。

パニックになった。彼女は泣き叫び、残った男はわけのわからないことをわめきながら走り出した。俺も必死で逃げたが、森の中はまるで迷路のようだった。どこをどう走っても、同じ場所に戻ってくる。祠の前に何度も。何度も。懐中電灯の電池が切れ、暗闇の中で俺たちはただ怯えながら蹲った。

その時、囁きがまた聞こえた。今度ははっきりと。言葉はわからなかったが、頭の中に直接響いてくるようだった。怒りと悲しみ、そして深い憎しみに満ちた声。俺は気づいた。この森は、何かを守っている。いや、閉じ込めているのだ。祠に封じられた何か。俺たちがその封を、知らずに破ってしまったのだ。

どれくらい時間が経ったのかわからない。気がつくと、俺は村の外れに倒れていた。仲間たちの姿はなかった。村に戻ると、誰も俺の話を信じなかった。それどころか、俺が森に行ったこと自体、覚えている者すらいなかった。あの三人は、まるで最初から存在しなかったかのように。

それから、俺の周りで奇妙なことが起こり始めた。夜中、誰もいない部屋から足音がする。鏡に映る自分の顔が、時折知らない誰かのものに見える。そして、いつも感じる視線。あの森で感じた、突き刺さるような視線が、どこにいても俺を追いかけてくる。

今も、背後で囁きが聞こえる。俺は知ってしまった。あの森の秘密を。祠に封じられた呪いを。そして、それが俺に取り憑いたことを。あの影は、俺を逃がしたわけじゃない。ただ、俺を新しい器にしただけだ。

今、俺の手が勝手に動いている。この話を書いているのは、本当に俺なのか? それとも、俺の中にいる何かか? わからない。ただ一つ確かなのは、この話を読んだお前も、もうあの呪いの一部だということだ。

どうか、俺を恨まないでくれ。

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