雨の夜に浮かぶ白い影

実話風

 それは、今からおよそ三十年前、まだ携帯電話も珍しく、町の人々が井戸端会議で情報を交わしていた頃のことだった。

 舞台は、九州の西端に位置する海と山に囲まれた小さな町。入り組んだ坂道が多く、路面電車の音がどこか遠くから聞こえてくる、そんな風景が今も頭に焼き付いている。

 当時、中学三年生だった「私」は、学校帰りに同級生の「ユウジ」とよく寄り道をしていた。とくに、雨が降る日は決まってある神社の裏手にある小道を通って帰っていた。

 その神社は町の人たちには「雨の神様」として知られていて、なぜか大雨の日でも、その神社の石段だけは濡れないという噂があった。子供の頃は、その不思議をただ面白がっていたが、今にして思えば、それが異常の始まりだった。

 ある梅雨の夜。雨脚が異様に強く、空は夕方を迎える前から墨を流したような暗さだった。私はユウジと神社の小道に入った。傘を差しても意味がないほどの豪雨で、早く抜けようと早足になったとき、ユウジが突然足を止めた。

「おい、見たか……?」

 彼の指差す先には、神社の石段の上に白い着物を着た女が立っていた。顔は見えず、頭を垂れて、まるで雨を迎えるように立ち尽くしている。

「こんな雨の中で……?」

 不自然すぎた。周囲には誰もおらず、聞こえるのは雨の音と、どこかで軋む木の音だけ。

 私たちは小道を迂回して帰ったが、それ以来、ユウジは急激に口数が減り、三日後には学校を休みがちになった。

 そして一週間後、ユウジの家で異変が起きた。真夜中、家の周囲を「カラ、コロ……カラ、コロ……」と下駄のような音が回るのだという。ユウジの母親が言うには、それが起きるのは決まって雨の夜だけ。

 その証言を聞いた夜、私は家で眠れず、ラジオをつけっぱなしにしていた。すると、夜中の二時すぎ、誰も触れていないはずの玄関の戸が「ギイ……」と開いた。

 凍りついた。家族は全員就寝中。私は部屋の中で固まっていた。

 数日後、ユウジが転校するという話を聞いた。理由は「家族の事情」とだけ聞かされたが、町の人々の間では「ユウジの家は呪われた」と噂が立ち始めていた。

 それから十年後、私は実家を離れたが、ふとしたきっかけであの神社を訪れた。神社は荒れ果て、石段はひび割れ、苔むしていた。

 だが、一段だけ、他と比べて異様に綺麗な段があった。

 不思議に思い、写真を撮って帰宅した夜。撮った写真を確認すると、そこにははっきりと白い着物の女が、こちらを見下ろすように写っていた。

 その瞬間、カーテンの向こうから「カラ……コロ……」と、下駄の音が聞こえた。

 私は今も、その音を聞くことがある。ただ、雨の夜に限って。

 ――そして、必ず窓の外に、誰かが立っている。

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