深夜のコンビニに響く足音

ホラー

それは、ある夏の夜のことだった。

山形県の小さな市街地。繁華街から少し外れた場所にある、24時間営業のコンビニエンスストア。蛍光灯の白い光が、夜の闇にぽつんと浮かんでいる。店員の私は、その夜、いつものようにカウンターに立っていた。時計の針は午前2時を少し回ったところ。客足は途絶え、店内にはエアコンの低い唸り声だけが響いていた。

私は棚の整理をしようと、カウンターから出て商品を並べ始めた。すると、店の奥の方から、かすかな音が聞こえてきた。カツ、カツ……。まるで、硬い靴底が床を叩くような音だ。誰か来たのか? そう思って振り返ったが、店内に人の姿はない。自動ドアのセンサーも反応していない。気のせいか、と思い直し、作業を続けた。

だが、音は止まなかった。カツ、カツ、カツ……。今度はもっと近く、はっきりと聞こえる。私は背筋に冷たいものが走るのを感じた。店内の照明は明るいのに、なぜか空気が重く感じる。ゆっくりと音のする方へ目をやると、棚の隙間から何かが見えた気がした。黒い影のようなもの。だが、すぐに消えてしまった。

「まさか、疲れてるだけだろ」

自分に言い聞かせるように呟き、カウンターに戻った。だが、心臓はまだドキドキしている。店内のモニターを確認したが、映っているのはいつもの静かな店内の様子だけ。誰もいない。それでも、どこかで視線を感じる。誰かに見られているような、妙な感覚だ。

その時、突然、レジの横に置いてあったボールペンがカタンと床に落ちた。驚いて飛び上がり、拾おうとした瞬間、またあの音が聞こえた。カツ、カツ、カツ……。今度はカウンターのすぐ裏、商品棚の通路からだ。私は思わず息を止めた。音は徐々に近づいてくる。カツ、カツ、カツ……。そして、ピタリと止まった。

店内は静寂に包まれた。エアコンの音すら聞こえないような、異様な静けさ。私は動けなかった。背後で何かいる。そんな確信が、頭の中を支配していた。ゆっくりと振り返る勇気もなく、ただじっとモニターを見つめていた。すると、画面の端に映るはずのないものが映った。黒い人影。私のすぐ後ろに立っている。

「うわっ!」

思わず叫び、振り返った。だが、そこには誰もいない。モニターを見直すと、影も消えていた。心臓がバクバクと暴れ出し、汗が額を伝う。錯覚だ、錯覚に違いない。そう自分を落ち着けようとしたが、身体は震えていた。

それから数分、音も影も現れなかった。私は少しずつ落ち着きを取り戻し、カウンターに座り込んだ。だが、安心したのも束の間。店の外から、ガラスを叩く音が聞こえた。トン、トン、トン……。リズミカルに、ゆっくりと。自動ドアのセンサーは反応していない。外に誰かいるのか? 恐る恐るガラス越しに外を見たが、駐車場には誰もいない。街灯の光がアスファルトを照らすだけだ。

トン、トン、トン……。

音は止まらない。まるで、私を呼んでいるかのように。意を決して、店の外に出てみることにした。鍵を握りしめ、自動ドアを開けると、ひんやりとした夜の空気が肌を撫でた。駐車場を見回したが、やはり誰もいない。街灯の光が、妙に青白く感じる。

「誰かいるの?」

声に出してみたが、返事はない。トン、トン、トン……。音はまだ聞こえる。だが、今度は店の外からではなく、店の中からだ。私は凍りついた。ゆっくりと振り返ると、店内のガラス越しに、カウンターの奥に立つ人影が見えた。黒い服を着た、背の高い影。顔は見えない。だが、その影は私をじっと見ている。

「や、やめろ……!」

叫びながら店内に戻ろうとした瞬間、影がスッと消えた。急いで店内に飛び込み、ドアをロックした。息が荒くなり、膝がガクガクと震える。モニターを確認したが、店内に異常はない。だが、私は確信していた。あれは人間じゃなかった。何か、別のものだ。

その夜、私は朝までカウンターから一歩も動けなかった。音も影も、それきり現れなかったが、恐怖は消えなかった。朝になり、交代の店員がやってきたとき、私はやっと解放された気分になった。だが、店を出る瞬間、背後でかすかにカツ、カツ、という音が聞こえた気がした。振り返る勇気はなかった。

それから数日後、私はそのコンビニで働くのを辞めた。理由は自分でもよくわからない。ただ、あの夜のことが頭から離れなかった。後で聞いた話だが、あの店舗では以前、夜勤の店員が突然辞めることが多かったらしい。誰も詳しい理由は言わない。ただ、皆、どこか怯えた目で店を見ていたという。

今でも、夜中にコンビニの前を通ると、あの音が聞こえてくる気がする。カツ、カツ、カツ……。そして、誰かに見られているような感覚に襲われる。あの店には、もう二度と近づきたくない。

だが、最近、別の友人から奇妙な話を聞いた。そのコンビニで働く知り合いが、夜中に妙な音を聞いたというのだ。カツ、カツ、という足音。そして、誰もいないはずの店内で、ガラスを叩く音が響いたと。友人は笑いながら話していたが、私は笑えなかった。あの夜の恐怖が、鮮明に蘇ってきたからだ。

あのコンビニは、今も変わらず営業している。明るい蛍光灯の下、普通の日常が続いているように見える。だが、私は知っている。あの店には、何かいる。夜の闇に紛れて、じっと誰かを待っている何かだ。

あなたは、夜中にコンビニへ行くとき、ふと背後で音を聞くことはないだろうか? カツ、カツ、という足音。トン、トン、というガラスを叩く音。それは、ただの気のせいかもしれない。だが、もしその音が止まらず、近づいてきたら……。振り返らない方がいい。決して、振り返らない方がいい。

(完)

タイトルとURLをコピーしました