千葉県の山奥にひっそりと佇む別荘地があった。そこはかつて、都会の喧騒を逃れた人々が別荘を建て、週末を過ごす場所として賑わっていたらしい。しかし、今から数年前のある出来事を境に、その一角は訪れる者を拒むような静寂に包まれるようになった。
私がこの話を知ったのは、友人のKからだった。彼はアウトドア好きで、特に廃墟探索に目がない男だった。ある秋の週末、Kは私を誘い、「千葉の山に面白い場所がある」と目を輝かせて言った。そこは、地図にもほとんど載らない小さな別荘地で、所有者が次々と去り、今では朽ち果てた家屋だけが残っているという。私はホラー映画のような雰囲気に少し胸騒ぎを感じたが、Kの熱意に押されて同行することにした。
週末、私たちは車で山道を登った。紅葉が色づき始めていたが、道は舗装が剥がれ、雑草が隙間から顔を覗かせていた。別荘地に近づくにつれ、空気が重くなり、鳥のさえずりすら聞こえなくなった。Kは「ここだ」と車を停め、目の前に広がる光景を指さした。そこには、苔むしたコンクリートの壁や、窓ガラスが割れたままの家々が並んでいた。まるで時間が止まったかのような異様な静けさだった。
私たちは懐中電灯を手に、一軒の別荘に近づいた。木製のドアは半開きで、風に揺れるたびに軋む音が響く。Kが「中を見てみようぜ」と言い、私は嫌な予感を抑えつつ後に続いた。室内は埃と湿気で満たされ、家具は倒れたまま放置されていた。壁にはカビが広がり、どこからか水滴が落ちる音がポタポタと響いていた。私は「早く出よう」とKを促したが、彼は奥の部屋に興味津々で進んでいった。
その時、微かな音が聞こえた。最初は風か何かだと思ったが、次第にそれが人の声のように感じられた。低く、呻くような声。Kも立ち止まり、「お前、聞こえたか?」と振り返った。私は頷き、恐怖が背筋を這い上がるのを感じた。声は徐々に大きくなり、言葉にならない叫びへと変わっていった。それは、別荘のどこか奥深くから響いてくるようだった。
Kは好奇心を抑えきれず、声のする方へ向かおうとしたが、私は彼の腕を掴んで止めた。「やめろ、何かおかしい」と必死に訴えた。しかし、彼は私の手を振り払い、「ちょっと見てくるだけだ」と言い残して暗闇の奥へ消えた。私は一人取り残され、心臓が早鐘を打つのを感じながらその場に立ち尽くした。叫び声はさらに激しくなり、今度はKの声が混じっているように聞こえた。私は恐慌に駆られ、踵を返して別荘の外へ飛び出した。
外に出た瞬間、叫び声がピタリと止んだ。辺りは再び不気味な静寂に包まれた。私は震える手で携帯を取り出し、Kに電話をかけたが、圏外だった。仕方なく車に戻り、彼を待つことにした。数十分が経ち、夜が深まるにつれて寒さが身に染みた。Kは一向に戻ってこなかった。私は意を決して再び別荘へ向かったが、そこに彼の姿はなかった。ただ、奥の部屋の床に、彼が持っていた懐中電灯が転がっているだけだった。
それから数日後、私は地元の古老にこの話を打ち明けた。彼は目を細め、「あそこには近づかない方がいい」と呟いた。古老の話では、数年前、その別荘地で不可解な失踪事件が起きたという。ある家族が別荘で休暇を過ごしていたが、ある夜を境に忽然と姿を消した。捜索隊が調べても手がかりは見つからず、ただ、家の中から奇妙な叫び声が聞こえたという証言だけが残った。それ以降、その場所は「呪われた土地」と呼ばれ、近隣の者さえ寄り付かなくなったらしい。
私はKの行方を警察に届け出たが、結局、彼は見つからなかった。別荘地は今もそのまま放置され、朽ちていくのを待っている。私はあの日のことを思い出すたび、あの叫び声が耳に蘇る。あれは風でも、幻聴でもなかった。確かに何かがそこにいた。そして、それは私たちを見ていたのだ。
今でも思う。あの時、Kを止められなかったことが、私の人生最大の後悔だ。そして、あの別荘地には二度と近づかないと心に誓った。だが、時折、夢の中であの叫び声を聞くことがある。それは私を呼んでいるかのように、遠くから、だが確実に近づいてくる。