絡みつく呪いの糸

呪い

それは、ある小さな村での出来事だった。

山々に囲まれたその集落は、外部との繋がりが薄く、昔ながらの風習が色濃く残っていた。明治の頃、村には機織りの技術が伝わり、女たちは美しい布を織って生計を立てていた。特に評判だったのは、深い藍色に染められた絹糸で織られた反物で、その滑らかさと独特の光沢は遠くの町でも珍重されていた。しかし、その裏には誰も口にしない秘密があった。

村の外れに住む老婆がいた。彼女は機織りの名手として知られていたが、同時にどこか不気味な雰囲気を漂わせていた。顔は皺だらけで、目は異様に光り、いつも一人で古びた家に籠もっていた。村人たちは彼女を避け、子供たちは「近づくと呪われる」と囁き合っていた。だが、彼女が織る布だけは別だった。それはあまりに美しく、触れると冷たく滑るような感触が不思議な心地よさを与えた。

ある秋の夜、村に一人の娘がいた。彼女は貧しい家に生まれ、母を助けるために機織りを習い始めたばかりだった。ある日、母が病気で倒れ、薬代を工面するために彼女は藁にもすがる思いで老婆の家を訪ねた。「お願いです、私にもその布を織る術を教えてください」と頭を下げた。老婆は一瞬、鋭い目で娘を見つめた後、低い声でこう言った。「いいだろう。ただし、一度始めたら途中でやめられんよ」。娘は必死だったから、その言葉の重みを考える余裕もなかった。

老婆は娘を家に招き入れ、機織り機の前に座らせた。そこには見たこともないほど細く光る糸が張られていた。「これを織れ」と老婆は命じた。娘が手を動かすと、糸はまるで生きているかのように指に絡みつき、冷たい感触が全身を這うようだった。だが、不思議なことに布はみるみる完成していき、その美しさに見とれてしまうほどだった。老婆は満足げに頷き、「これを町で売れば金になる」と言った。

娘は布を手に町へ向かい、それを売りさばいた。驚くほどの高値がつき、母の薬代どころかしばらく暮らせるほどの金が手に入った。喜び勇んで村に戻った娘だったが、その夜から奇妙なことが起こり始めた。

眠りに落ちると、彼女は夢を見た。暗い部屋で機織り機が独りでに動き、糸が無数に宙を舞っている。糸は彼女の体に絡みつき、首を締め上げるように締め付けてきた。目が覚めると、確かに首に赤い痕が残っていた。最初は疲れのせいだと思ったが、毎夜同じ夢に悩まされ、痕は日に日に深くなった。鏡を見ると、まるで糸で縛られたような模様が首に浮かんでいた。

村人たちに相談しても誰も相手にせず、「老婆に近づいた罰だ」と冷たくあしらわれた。母さえも娘を遠ざけるようになり、彼女は孤立していった。それでも金のために布を織り続けざるを得なかった。だが、織れば織るほど夢は現実と混じり合い、ある晩、彼女は目を覚ました瞬間、自分の手が勝手に機織り機を動かしていることに気づいた。止めようとしても体が言うことを聞かず、糸は彼女の指に食い込み、血が滴り落ちた。

恐怖に駆られた彼女は老婆の家に駆け込んだ。「助けてください、この呪いを解いてください!」と叫んだ。だが、老婆は薄く笑い、「呪いだと?これはお前が選んだ道だよ」と言った。そしてこう続けた。「あの糸はな、人間の欲望から紡がれたものだ。一度触れれば逃れられん。お前が織った布は、誰かの命を吸って輝く。お前が苦しむほど、布は美しくなるのさ」。

娘は愕然とした。自分が織った布が誰かを不幸にしているなんて考えてもみなかった。彼女は機織り機を壊そうと決意し、夜中に老婆の家に忍び込んだ。だが、そこには老婆の姿はなく、ただ機織り機だけが静かに佇んでいた。彼女が近づくと、突然糸が飛び出し、彼女の体を縛り上げた。抵抗する間もなく、糸は彼女の首に巻き付き、息ができなくなった。そのまま彼女は意識を失い、朝になっても戻らなかった。

村人たちが老婆の家を訪ねると、そこには誰もいなかった。ただ、機織り機の上に一枚の布が置かれていた。それは今まで見たこともないほど美しく、深い藍色に輝いていた。だが、よく見ると布には血のような赤い模様が浮かんでおり、触れると冷たく湿った感触がした。村人たちは恐れおののき、その布を山奥に埋めた。以来、老婆も娘も二度と姿を見せなかった。

それから何年か経ち、村ではこんな噂が囁かれるようになった。秋の夜、風が強く吹く日に山道を歩いていると、どこからか機織り機の音が聞こえてくるという。そして、道端に美しい藍色の布が落ちていることがあるが、決して拾ってはいけない。拾った者は、首に赤い痕が浮かび、やがて糸に絡みつかれ、消えてしまうのだと。

今でも、その村の山奥には何か得体の知れないものが潜んでいるような気がしてならない。機織り機の音が聞こえたら、決して振り返らず、足早に立ち去るのが賢明だ。さもないと、あの呪いの糸があなたを絡め取り、二度と解けることはないだろう。

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