雨が降りしきる夜だった。
山間の小さな集落に住む少女は、その日、学校から帰るのが遅くなってしまった。薄暗い山道を急いで歩いていると、背後から何か音が聞こえてくる。最初は風に揺れる木々のざわめきだと思ったが、次第にそれははっきりと足音に変わっていった。濡れた地面を踏む、じめっとした音。誰かが自分を追いかけてくるような感覚に襲われ、少女は振り返る勇気もなくただ足を速めた。
集落に近づくにつれ、雨はさらに強くなり、視界はほとんど利かなくなっていた。それでも足音は止まない。むしろ近づいてくるようで、少女の心臓は恐怖で締め付けられるようだった。家まであと少し。息を切らしながら軒先が見える距離まで来たとき、ふと足音がぴたりと止んだ。安堵と同時に、恐る恐る振り返ると、そこには誰もいない。ただ、雨に濡れた道が続くだけだった。
家に飛び込み、鍵をかけた瞬間、少女はようやく肩の力を抜いた。母が台所で夕飯の支度をしており、いつも通りの穏やかな空気が流れている。少女は濡れた服を脱ぎながら、さっきの出来事を母に話そうとしたが、なぜか言葉に詰まった。恐怖が喉に引っかかったように、声が出ない。その時、母が振り返り、不思議そうな顔で言った。「どうしたの?顔が真っ青よ。」
少女はなんとか気持ちを落ち着け、母に背後の足音のことを話した。母は少し眉をひそめ、「この辺りは昔から妙な噂があるからね」とだけ呟いた。その言葉に少女はさらに不安を覚えたが、疲れ果てていたこともあり、その日は早々に床についた。
深夜、目を覚ました少女は、喉の渇きを覚えて水を飲もうと台所に向かった。すると、家の外から再びあの足音が聞こえてきた。今度ははっきりと、家を囲むように歩き回る音だ。雨はまだ降り続いており、窓の外は真っ暗で何も見えない。足音は一定のリズムを刻み、時折、窓ガラスを叩くような小さな音が混じる。少女は恐怖で体が硬直し、動けなくなった。
どれくらい時間が経っただろうか。足音は突然止まり、静寂が訪れた。少女は意を決して窓に近づき、カーテンをそっと開けた。すると、窓の外にぼんやりと人影が浮かんでいるように見えた。雨に濡れた長い髪が顔を覆い、その下から覗く目は異様に白く光っていた。少女が悲鳴を上げると同時に、人影はスッと消え、再び雨音だけが残った。
翌朝、少女はそのことを母に話したが、母は「夢でも見たんじゃない?」と軽く笑った。しかし、少女にはあれが夢ではない確信があった。窓の外に残された泥だらけの足跡が、その証拠だった。母に見せようと急いで外に出たが、不思議なことに足跡はきれいに消えていた。まるで何もなかったかのように。
それから数日間、少女は毎夜のように足音を聞いた。時には家の周りを歩く音だけでなく、屋根を這うような音や、壁を引っかくような音まで混じるようになった。家族には信じてもらえず、少女は次第に追い詰められていった。ある晩、耐えきれなくなった少女は、集落の外れに住む古老に相談することにした。
古老は少女の話をじっと聞き、目を細めてこう言った。「それは『雨女』かもしれないな。この辺りでは昔から、雨の夜に現れる女の霊の話が伝わっている。山で死んだ女が、誰かを道連れにしようと彷徨っているんだ。」少女は震えながら尋ねた。「どうすればいいんですか?」古老は少し考え込み、「お前が何か悪いことをした覚えがあるなら、それを悔い改めなさい。それしかない」と答えた。
少女には思い当たる節があった。数週間前、学校の帰りに友達とふざけて、山の奥にある古い祠を蹴ってしまったことがあったのだ。その祠は地元では「触れてはいけない」と言われている場所だった。少女はすぐにそのことを思い出し、恐怖と後悔で涙が溢れた。
翌日、少女は友達を誘い、雨の中を祠まで走った。そこに着くと、二人で土下座をして謝罪した。祠の周りは異様に静かで、雨音さえも遠くに聞こえるようだった。少女は目を閉じ、心の中で必死に許しを乞うた。その瞬間、背後でかすかな笑い声が聞こえた気がした。振り返っても誰もいない。ただ、風が一瞬強く吹き抜けただけだった。
その夜から、足音はぴたりと止んだ。少女は二度と祠に近づくことはなく、あの出来事を誰にも話さなかった。だが、雨の夜になると、今でも時折、あの白い目が窓の外に浮かんでいるような感覚に襲われることがある。彼女はそれを振り払うように目を閉じ、ただ朝が来るのを待つだけだった。
集落では今も、雨の降る夜に足音を聞いたという噂が絶えない。古老の話によれば、「雨女」は許しても忘れはしないらしい。そして、彼女が現れるたびに、誰かがその恐怖に引きずり込まれるのだという。