呪われた鏡の囁き

呪い

三重県の山深い集落に、古びた一軒家が佇んでいた。そこに住むのは、幼い娘と二人きりの母親だった。今から20年程前、彼女たちは静かな暮らしを送っていたが、ある日を境にその平穏は崩れ去った。

そのきっかけは、母親が山道で拾った古い手鏡だった。黒ずんだ枠に囲まれたその鏡は、妙に冷たく、重かった。母親はそれを家に持ち帰り、娘に見せた。娘は目を輝かせて鏡を手に取ったが、その瞬間、彼女の表情が凍りついた。『何かいる』と小さな声で呟いたのだ。

母親は笑ってそれを否定したが、娘はその日から様子がおかしくなった。夜中に突然起き上がり、鏡の前でじっと立ち尽くす。ある時は鏡に向かって独り言を呟き、ある時は鏡を握り潰さんばかりに抱きしめた。母親が問いただしても、娘はただ『鏡が呼んでる』と繰り返すばかりだった。

数日後、異変はさらに加速した。家の中から奇妙な音が響き始めたのだ。最初は小さな軋みだったが、次第にそれは低いうめき声のようになり、夜になると家中を包み込むようになった。母親は恐怖に震えながらも、娘を守るために鏡を捨てようと決意した。しかし、鏡を手に持った瞬間、彼女の腕に鋭い痛みが走った。見ると、皮膚が赤黒く変色し、まるで何かに焼かれたように爛れていた。

その夜、娘が再び鏡の前に立っていた。だが今度は様子が違った。彼女の目は虚ろで、口元には不気味な笑みが浮かんでいた。母親が近づくと、娘は突然振り向き、鏡を差し出した。『見て』と一言。その声は娘のものではなかった。低く、嗄れた、まるで地の底から響くような声だった。

母親が反射的に鏡を覗き込むと、そこには自分の顔ではなく、見知らぬ女の姿が映っていた。長い黒髪に覆われた顔、血走った目、裂けた口元から覗く歯。その女は鏡の中でゆっくりと笑い始めた。母親は悲鳴を上げて鏡を落としたが、鏡は床に落ちることなく宙に浮いた。そして、次の瞬間、家中が暗闇に包まれた。

翌朝、近隣の者が様子を見に訪れたが、家は静まり返っていた。扉を開けると、そこには誰もいなかった。ただ、居間の中央に鏡だけが置かれていた。拾い上げた男が鏡を覗き込むと、彼もまた小さな悲鳴を上げた。そこには、見知らぬ女が映り込んでいたからだ。

それからというもの、その家に近づく者は誰もいなくなった。鏡は集落の古老たちによって山奥に封じられたが、噂は絶えなかった。鏡に映る女は、かつてその土地で呪いをかけられた女の霊だという。彼女は鏡を通じて新たな獲物を探し、見つけた者を闇へと引きずり込むのだと。

20年が経った今でも、山道を通る者の中には、不意に冷たい風を感じたり、低い囁き声を聞く者がいるという。そして、時折、道端に古びた鏡が落ちているのを目撃する者もいる。だが、誰もそれを拾おうとはしない。なぜなら、鏡を手にすれば、呪いが再び目を覚ますからだ。

ある夏の夜、山でキャンプをしていた若者たちが奇妙な体験をした。彼らは焚き火を囲んでいた時、近くの茂みからかすかな音を聞いた。懐中電灯で照らすと、そこに古い手鏡が転がっていた。一人が冗談半分にそれを拾い上げ、仲間たちに見せた。鏡を覗いた瞬間、彼の顔が青ざめた。『何かいる』と呟き、その場に鏡を落とした。

仲間たちは笑いものにしようとしたが、彼の震え方が尋常ではなかった。その夜、テントの中で若者たちは眠れぬ夜を過ごした。深夜、テントの外から低い声が響き始めた。『見て、見て、見て』と繰り返すその声に、彼らは耳を塞いだ。翌朝、鏡はテントの入り口に置かれていた。拾った若者はそれ以来、口を利かなくなったという。

呪われた鏡の話は、今も三重県の山間部で語り継がれている。古老たちは言う。『鏡を見つけたら、決して覗くな。拾うな。そして、目を逸らせ』と。だが、人間の好奇心は時に呪いを呼び覚ます。あなたがもし、山道で古びた鏡を見かけたら、どうするだろうか?その冷たい表面に、自分の顔が映る前に、走って逃げることをお勧めする。

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