呪われた山里の赤い影

呪い

山深い愛媛県の小さな集落に、古くから語り継がれる言い伝えがあった。それは、ある特定の夜、赤い影が山道を彷徨い、見つけた者を呪うというものだ。今から20年ほど前の夏、私は大学の民俗学研究のためにその集落を訪れた。当時、ネットも携帯電話の電波も届かない場所で、時間はゆったりと流れていた。集落に着いた初日、年老いた村人に話を聞いた。

「山の奥にゃあ、近づかん方がええよ。あの赤い影に見つかったら、もう終わりじゃ」と、彼は震える声で言った。私はその話を興味深く聞きつつも、現代人の感覚で「迷信だろう」と軽く考えていた。だが、その夜から奇妙な出来事が始まった。

宿泊先は集落の外れにある古い民家だった。木造の家は湿気を含んだ匂いが漂い、夜になると虫の声だけが響き渡る。初日の夜、私は疲れからかすぐに眠りに落ちた。しかし、深夜、ふと目が覚めた。外から微かな音が聞こえる。カサ…カサ…と、枯れ葉を踏むような音だ。窓の外を見ると、闇の中に赤い影が揺れているように見えた。一瞬のことで、目をこすってもう一度見ると何もなかった。夢だったのか、それとも疲れからくる幻覚か。私はそう自分を納得させ、再び眠りについた。

翌日、村の古老たちに話を聞く中で、赤い影の正体について少しずつ明らかになってきた。数十年前、山奥で若い女が亡くなったという。彼女は村の男に裏切られ、絶望の中で山に身を投げた。その怨念が赤い影となり、夜な夜な彷徨っているのだと。古老の一人は「その女は赤い着物を着ちょった。それが影の色なんじゃ」と付け加えた。私は興味本位で、その女が死んだとされる山の奥へ向かうことにした。

山道は鬱蒼とした木々に覆われ、昼間でも薄暗かった。足元には苔むした石が転がり、時折鳥の鳴き声が不気味に響く。私はカメラとノートを手に、慎重に進んだ。しばらく歩くと、小さな祠を見つけた。苔に覆われ、半ば朽ちかけたその祠には、赤い布切れが風に揺れていた。まさか、と思い近づくと、布切れは古びた着物の端切れのようだった。写真を撮ろうとカメラを構えた瞬間、背筋に冷たいものが走った。背後に誰かの視線を感じたのだ。

振り返っても誰もいない。ただ、風が木々を揺らし、不気味な音を立てているだけだ。私は急に不安に駆られ、祠を後にした。だが、その日から私の周囲で異変が続いた。夜になると、窓の外でカサカサという音が聞こえる。寝ている間に誰かに見られているような感覚が拭えない。そして、ある夜、夢の中で赤い着物を着た女が現れた。彼女は無言で私を見つめ、その目には憎しみと悲しみが渦巻いていた。目が覚めると、体が異様に重く、汗でびっしょりだった。

集落に滞在して一週間が経つ頃、私は限界を感じていた。古老たちに相談すると、「お前さん、呪われちまったかもしれん。あの山に近づいたのがいかんかった」と真剣な顔で言われた。彼らは私を救うため、村に伝わる古い儀式を行うことにした。夜、集落の広場に火を焚き、古老たちが呪文のような言葉を唱え始めた。私はその中心に座らされ、目を閉じるよう指示された。風が強くなり、火が激しく揺れる中、背後にあの赤い影が立っている気がしてならなかった。

儀式が終わり、目を開けると、古老たちは安堵の表情を浮かべていた。「もう大丈夫じゃ。影は去った」と彼らは言った。だが、私は本当に解放されたのか確信が持てなかった。その夜、初めて音も気配もなく眠れたが、夢の中で再びあの女が現れ、こう囁いた。「お前は逃げられんよ」。目覚めた時、枕元に赤い布切れが置かれていた。どこかで見た覚えのある、古びた着物の端切れだった。

私は急いで荷物をまとめ、集落を後にした。それ以来、二度とその場所には戻っていない。だが、時折、夜中にカサカサという音を聞くことがある。窓の外を見ても何もない。ただ、遠くに赤い影が揺れているような気がして、背筋が凍るのだ。あの呪いは、本当に解けたのだろうか。それとも、私の心に永遠に巣食ってしまったのだろうか。

今でもあの夏の出来事を思い出すと、冷や汗が止まらない。あの山里の赤い影は、私にとって永遠の恐怖として残り続けている。

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