呪われた山間の影

ホラー

岐阜県の山奥にひっそりと佇む小さな集落があった。そこは今から数年前、奇妙な出来事が立て続けに起こった場所として、近隣の村人たちの間で囁かれていた。深い森に囲まれ、昼間でも薄暗いその集落には、古びた木造の家々が点在し、どこか時間の流れが止まったような雰囲気が漂っていた。

その集落に住む一人の男がいた。彼は寡黙で、いつも一人で山に入り、薬草や山菜を採って暮らしていた。村人たちは彼を「山の番人」と呼び、どこか畏怖の念を抱いていた。ある日、彼が山から戻ってきたとき、その手に握られていたのはいつもの籠ではなく、煤けた古い木箱だった。蓋には奇妙な模様が刻まれ、まるで何かを封じ込めているかのようだった。

男はその箱を自宅の床下に隠し、誰にもその存在を語らなかった。しかし、それ以降、集落に異変が訪れ始めた。夜になると、どこからともなく低い唸り声が響き、家の周りを何かが這うような音が聞こえるようになった。村人たちは最初、それを獣の仕業だと考えていたが、ある晩、子供が窓の外に見たものは、獣などではなかった。

「何か黒い影が、這うように動いてた…目が赤くて、こっちを見てた…」

子供の震える声に、村人たちは不安を募らせた。それでも、男は頑なに口を閉ざし、箱については何も語らなかった。やがて、異変はさらにエスカレートした。家畜が次々と死に、畑は一夜にして枯れ果て、夜な夜な聞こえる声は次第に言葉らしきものに変わっていった。

「返せ…返せ…」

その声は風に乗り、集落全体に響き渡った。村人たちは恐怖に耐えかね、ついに男を問い詰めた。すると、彼は初めて重い口を開いた。

「あの箱は、山の奥で見つけた。古い祠のそばに埋まってたんだ。開けてみたら、中には髪の毛と爪が入ってた。それと…呪いの言葉が書かれた紙がな。」

男の話によると、その祠はかつて、山に住む神を鎮めるためのものだったが、何者かによって荒らされ、封印されていた「何か」が解き放たれたのだという。箱を持ち帰ったことで、男はその「何か」を怒らせてしまったらしい。村人たちは祠に戻して封印し直すことを提案したが、男は首を振った。

「もう遅い。あれは俺を…いや、この集落を見張ってる。」

その夜、集落は深い霧に包まれた。霧の中から聞こえるのは、這う音と呪詛のような呟き。村人たちは家に閉じこもり、息を殺して朝を待ったが、夜が明けても霧は晴れなかった。そして、男の家を訪れた者たちが目にしたのは、開け放たれた床下と、消えた木箱だった。男の姿もどこにもなかった。

それから数日後、集落の異変はさらに恐ろしいものへと変わった。村人の一人が、夜中に目を覚ますと、枕元に黒い影が立っていた。影は動かず、ただじっとこちらを見つめている。その日から、彼は毎夜同じ夢を見た。山の奥で、誰かが土を掘り、箱を埋める夢だ。目が覚めると、手には土が付いており、爪の間には血が滲んでいた。

やがて、集落の住人たちは次々と姿を消し始めた。家に残されたのは、乱れた布団と、床に刻まれた爪痕だけだった。生き残った数少ない村人たちは、逃げるように集落を後にしたが、彼らが語るには、背後からずっと「返せ」という声が追いかけてきたという。

今、その集落は廃墟と化し、地図にも載っていない。だが、山道を歩く者の中には、霧の向こうから這う音を聞いたり、赤い目が光るのを見たという者が後を絶たない。そして、稀に山に入った者が持ち帰る話がある。古びた祠のそばに、誰かが掘り返したような跡と、煤けた木箱が置かれているのを目撃した、と。

あの箱は今もどこかにあり、持ち主を待っているのかもしれない。そして、それが再び開かれたとき、呪いは新たな集落へと広がるのだろう。あなたが山で不思議な物を見つけたとき、そっと目を閉じ、耳を澄ませてみてほしい。遠くから「返せ」という声が聞こえたら、それはもう手遅れかもしれない。

タイトルとURLをコピーしました