深夜の街角で響く足音

実話風

それは蒸し暑い夏の夜だった。市街地の喧騒がようやく収まり、街灯がぼんやりとアスファルトを照らす時間帯。俺はバイト帰りで、いつものように駅前の通りを歩いていた。周囲にはコンビニの明かりと、時折通り過ぎる車の音だけが頼りだった。

その夜は少し違った。疲れていたせいか、妙に感覚が研ぎ澄まされていた。背後から聞こえる微かな音に気付いたのは、交差点を渡り終えたあたりだ。カツン、カツン、と規則正しい足音。最初は気にしなかった。誰かが同じ方向に歩いているだけだろうと思った。でも、その足音は俺のペースに合わせて鳴り続け、距離が縮まる気配がない。

振り返った。誰もいない。街灯の下には影一つなく、ただ静寂が広がっているだけだ。それでも足音は止まらない。カツン、カツン。俺の歩調にぴったり合わさるように響いてくる。不気味さに背筋が冷たくなり、早足に変えた。すると、足音も速くなった。カツンカツンカツン。まるで俺を追いかけるように。

慌てて角を曲がり、細い路地に入った。そこは古い商店街の裏手で、昼間でも人通りが少ない場所だ。足音が一瞬途切れた。ホッとしたのも束の間、今度は別の音が聞こえてきた。ザリッ、ザリッ、という擦れるような音。誰かが地面を引きずるような、不規則で不快な響きだ。路地の奥を見た。暗闇の中で何かが動いている。人の形をした何か。でも、その動きはぎこちなく、まるで関節が逆に曲がっているかのようだった。

逃げなきゃと思った瞬間、そいつが顔を上げた。いや、顔があったかどうかも分からない。暗闇に溶け込んだその頭部は、ただ黒い塊にしか見えなかった。でも、そいつの視線を感じた。俺をじっと見つめている。体が硬直して動けない。心臓が喉までせり上がってくるような恐怖が全身を支配した。

どれくらい時間が経ったのか分からない。次の瞬間、そいつが一歩踏み出した。ザリッ。足を引きずる音が近づいてくる。俺はようやく体が動き、叫びながら路地を走り出した。振り返る余裕なんてなかった。ただひたすらに駅の方へ向かって走った。足音が追いかけてくる。カツンカツン、ザリッザリッ。混ざり合った不協和音が耳にこびりついて離れない。

駅前の明るい場所にたどり着いた時、音はピタリと止んだ。息を切らしながら周囲を見回したけど、やっぱり誰もいない。汗と恐怖で震える手で携帯を取り出し、時間を確認した。深夜2時過ぎ。電車はもうない。仕方なく、タクシー乗り場に向かったけど、その間も背後に何かいる気がして仕方なかった。

家に帰ってからも、その夜のことは頭から離れなかった。夢でもあの足音が聞こえてきて、何度も目を覚ました。次の日、バイト先で同僚にその話をすると、妙な顔をされた。「お前、あの路地通ったのか?」って。聞けば、その辺りでは昔から変な噂があるらしい。夜中に出る「何か」が人を追いかけるって。冗談だろって笑いものにしたけど、同僚の目は本気だった。

それから何日か経って、俺はネットでその辺りのことを調べてみた。直接的な情報はなかったけど、古い掲示板に似たような体験談がいくつか上がってた。深夜に足音が聞こえるとか、暗闇で動く影を見たとか。どれも曖昧で、ただの都市伝説みたいに思えた。でも、俺にはそれが現実だった。あの夜の恐怖は、頭に焼き付いて離れない。

それからしばらくして、バイト先が変わってその通りを通ることはなくなった。でも、たまに街中で似たような足音を聞くと、今でも体が硬直する。あの「何か」がまだどこかにいて、俺を待ってるんじゃないかって。そんな馬鹿げた考えが頭をよぎる。あの夏の夜から10年近く経つけど、あの恐怖は薄れるどころか、むしろ鮮明になってる気がする。

今でも思う。あの路地に入ったのは間違いだった。あそこには何かいる。何か説明できないものが、夜の街角で獲物を待ってる。もし、あの時もっと早く逃げてなかったら。もし、あの視線に捕まってたら。考えるだけで寒気がする。もう二度と、あんな目に遭いたくない。

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