夜の駅前で響く足音

怪談

大阪府のとある市街地。夜も更けた頃、私は仕事帰りに駅前のロータリーを歩いていた。

普段なら人で賑わうこの場所も、終電が過ぎた時間帯ともなれば、静寂が支配する。街灯の薄暗い光がアスファルトに反射し、どこか寂しげな雰囲気を漂わせていた。私はイヤホンを耳に押し込み、音楽で眠気を紛らわしながら、家路を急いでいた。

その時だった。背後から、かすかに「カツ、カツ」という音が聞こえてきた。最初は自分の足音が反響しているのかと思ったが、イヤホンを外してみると、それは明らかに別の音だった。誰かが私の後ろを歩いている。振り返ると、20メートルほど離れた場所に、黒いコートを着た人影が見えた。顔は暗くてよく見えない。ただ、こちらをじっと見ているような気がした。

気味が悪くなり、私は歩調を速めた。すると、その足音も「カツカツカツ」と早くなる。心臓がドクンと跳ね上がり、冷や汗が背中を伝った。私は走り出した。駅前のコンビニに逃げ込めば安全だと、そう思ったのだ。だが、足音はさらに近づいてくる。振り返る勇気もないまま、息を切らしてコンビニの自動ドアに飛び込んだ。

店員に事情を説明しようと息を整えていると、ガラス越しに外を見た。そこには誰もいなかった。足音も聞こえない。ただ、静まり返った夜の街が広がっているだけだ。店員は不思議そうな顔で私を見ていたが、「よくあるよ、そういうこと」とだけ呟いて、レジに戻っていった。

少し落ち着いて店を出た私は、再び家に向かって歩き始めた。もう大丈夫だろうと自分に言い聞かせながら。だが、数分後、またあの音が聞こえてきた。「カツ、カツ」。今度はもっと近く、すぐ背後から響いてくる。私は恐怖で足がすくみ、振り返ることができなかった。首筋に冷たい風が当たるような感覚がして、背後で何かが動いている気配を感じた。

その夜、私は結局、家に辿り着くまで走り続けた。鍵をかけて部屋に飛び込み、電気をつけた瞬間、やっと息をつけた。だが、安心したのも束の間。窓の外を見ると、街灯の下に黒いコートの人影が立っていた。じっとこちらを見上げている。距離があるのに、その視線が私の肌を刺すように感じた。

翌朝、疲れ果てた私は会社に向かう途中、昨夜のことを同僚に話した。すると、彼は少し顔を曇らせてこう言った。「それ、最近噂になってる話に似てるな。駅前で夜遅くに現れる影が、誰かを追いかけるって。ずっと昔、そこらへんで事故があったらしくてさ…」。

その日から、私は夜遅くに駅前を通るのを避けるようになった。でも、時折、遠くから「カツ、カツ」という音が聞こえてくる気がする。あの夜の恐怖が、私の心にこびりついて離れないのだ。

数週間後、私は別のルートで帰宅していたが、ふと立ち寄ったコンビニで奇妙な話を耳にした。店員同士がひそひそと話しているのが聞こえてきたのだ。「この辺、最近変な噂あるよな。夜中に足音だけ聞こえて、誰もいないって」。もう一人が頷きながら、「俺もこの前、閉店後に何か気配感じてさ。バックヤード覗いたけど何もなかった」と答えた。私はぞっとした。あの足音は私だけの幻聴ではなかったのかもしれない。

ある雨の夜、私は残業で遅くなり、仕方なく駅前を通ることにした。傘をさし、足早に歩いていると、またあの音が聞こえてきた。「カツ、カツ」。今度は雨音に混じって、より不気味に響く。私は立ち止まり、意を決して振り返った。そこには誰もいない。ただ、濡れたアスファルトに街灯の光が反射しているだけだ。ほっとした瞬間、背後で「カツン」と一際大きな音がした。振り向くと、すぐ目の前に黒いコートの人影が立っていた。

顔は見えない。いや、見えなかったというより、そこに顔があるはずなのに、何も感じ取れなかった。闇がそこだけ濃く渦巻いているような、異様な存在感。私は叫び声を上げ、傘を投げ捨てて走った。雨に濡れながら、ただひたすらに逃げた。どれだけ走ったかわからない。気づけば自宅の前で、膝をついて息を切らしていた。

それ以来、私は夜の駅前を絶対に通らないと決めた。だが、あの足音は時折、夢の中で聞こえてくる。現実と夢の境界が曖昧になり、私は眠るたびに恐怖に怯えるようになった。あの人影は何だったのか。なぜ私を追いかけてきたのか。答えはわからない。ただ一つ確かなのは、あの夜の出来事が、私の人生に暗い影を落としたということだ。

今でも、静かな夜に外を歩くとき、ふと耳を澄ますと、「カツ、カツ」という音が遠くから聞こえてくる気がする。それは風の音かもしれないし、ただの錯覚かもしれない。でも、私は知っている。あの足音が、私をどこかで見ていることを。

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