呪われた山里の血塗られた約束

ホラー

群馬県の山奥にひっそりと佇む小さな集落があった。そこは人家もまばらで、深い森に囲まれ、外界との繋がりがほとんどない場所だった。今から20年程前、その集落に住む一人の少女が、ある日突然姿を消した。彼女は14歳で、透き通るような白い肌と長い黒髪が印象的な子だった。村人たちは彼女を捜し回ったが、どこにも見当たらず、やがて「山に連れていかれたのだろう」と口々に囁き合うようになった。

その集落には、古くから伝わる言い伝えがあった。山の奥深くに「血の祠」と呼ばれる小さな祠があり、そこには何百年も前に封じられた怨霊が眠っているという。村人たちはその祠に近づくことを固く禁じられ、子供たちには「夜に山へ行くと、血を求める影に呑まれる」と言い聞かせていた。しかし、少女が消えた夜、彼女の家の近くで、誰かが山の方へ歩いていく足音を聞いた者がいた。薄暗い月明かりの下、裸足の足跡が土に残されていたが、それは途中で途切れ、まるで何かに引きずられたように消えていた。

数日後、少女の兄である青年が、山へ向かった。彼は妹を溺愛しており、彼女がいなくなった日から食事もろくに取らず、ただただ妹の名を呼び続けていた。村人たちは彼を止めようとしたが、彼の目は狂気じみており、誰もその手を掴むことはできなかった。彼は懐中電灯と一本のナイフを手に、夜の山へと消えていった。

それから数週間、集落は奇妙な静けさに包まれた。誰もが口を閉ざし、夜になると家に鍵をかけ、窓の隙間すら塞ぐようになった。ある晩、村の外れに住む老女が、家の裏手からかすかな歌声のようなものを聞いた。それは低く、まるで地の底から響いてくるような声だった。彼女は恐る恐る窓の外を見たが、そこには誰もおらず、ただ風に揺れる木々の影だけがあった。しかし、次の朝、老女の家の戸口に、真っ赤な血で描かれた奇妙な印が残されていた。それは円の中に歪んだ文字のような形をしており、まるで何かを封じる呪符のようだった。

その日から、集落では異変が続いた。夜になると、どこからか聞こえてくる足音。家の周りを歩き回るような、ゆっくりとした不気味な音だった。誰かが勇気を出して外を覗いても、そこには何も見えない。ただ、朝になると、家の周りに血の滴が点々と落ちていることがあった。それはまるで、誰かが傷を負ったまま歩き回っているかのようだった。村人たちは恐れおののき、「あの子が帰ってきたんだ」と囁き合ったが、誰もその真相を確かめようとはしなかった。

そんなある日、集落の子供が森の入り口で遊んでいた時、木々の間から何かが動くのを見た。子供は好奇心に駆られ、少しだけ森の中へ入った。そこで彼が見たものは、血に染まった服を着た少女だった。彼女は長い髪で顔を隠し、地面に座り込んでいた。子供が声をかけようとした瞬間、彼女が顔を上げた。その顔は、確かにあの失踪した少女だったが、目が真っ黒に染まり、口元には血がべっとりと付いていた。子供は悲鳴を上げて逃げ出し、村に帰ってそのことを話した。だが、大人たちは子供の話を信じず、「怖い夢でも見たんだろう」と笑いものにした。

しかし、その夜、子供の家に異変が起きた。真夜中、家の外から聞こえるノックの音。トントン、トントン、と規則正しく、だが異様に力強い音だった。子供の父親が扉を開けようとしたが、その瞬間、扉の向こうから低い笑い声が聞こえてきた。それは少女の声だったが、どこか歪んでいて、人間とは思えない響きがあった。父親は扉を開けるのをやめ、家族全員で息を殺して朝を待った。翌朝、扉の外には血で描かれたあの印が、またしても残されていた。

やがて、青年の遺体が山で見つかった。彼は血の祠の前で倒れており、全身に無数の切り傷があった。だが、不思議なことに、その傷からは一滴の血も流れていなかった。まるで体内の血が全て吸い取られたかのようだった。彼の手にはナイフが握られていたが、その刃は錆びつき、まるで何年も放置されていたかのように見えた。村人たちは彼を埋葬し、祠には近づかないことを改めて誓った。

それでも、事態は収まらなかった。夜ごとの足音、血の滴、そして時折聞こえる歌声。集落の人々は次第に正気を失い始めた。ある者は「山に供物を捧げれば済む」と言い出し、別の者は「逃げるしかない」と荷物をまとめ始めた。しかし、供物を捧げても足音は止まず、逃げようとした者は、なぜか集落を出た瞬間に気を失い、朝には元の場所に戻されていた。

ある嵐の夜、集落の最後の灯りが消えた。翌朝、近くの町から様子を見に来た男が集落に足を踏み入れた時、そこには誰もいなかった。家々は静まり返り、ただ血の印だけが各家の戸口に残されていた。男は恐ろしさのあまり逃げ出し、二度とその場所には近づかなかった。

それから長い年月が経ち、集落は完全に忘れ去られた。だが、山の奥深くにある血の祠は今もそこに佇み、時折、風に混じって少女の歌声のような音が聞こえるという。地元の古老は言う。「あそこには触れてはいけない約束がある。破った者は血で償うしかない」と。今もなお、その山に足を踏み入れる者は少ないが、時折、好奇心に駆られた若者が山へ向かい、そして二度と戻らないという噂が絶えない。

あなたがもし、あの山の近くを通ることがあれば、夜の足音に耳を澄ませてみてほしい。遠くから聞こえるその音が、ただの風の音なのか、それとも血を求める影の足跡なのか。それは誰にもわからない。ただ一つ確かなことは、あの集落で交わされた約束が、今もなお呪いとして生き続けているということだ。

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