夜の住宅街に響く異音

実話風

それは蒸し暑い夏の夜だった。

市街地の片隅に広がる住宅街。細い路地に並ぶ古びた家々は、昼間は穏やかな生活の音で満たされているが、夜になると静寂が支配する。私はその頃、仕事の都合でこの町に引っ越してきたばかりだった。新しい住まいは、築30年は経つであろう二階建てのアパート。壁は薄く、隣の住人の生活音が時折漏れ聞こえてくるような場所だ。だが、家賃が安く、駅にも近いため、文句を言うつもりはなかった。

引っ越して数日後のことだ。夜遅く、疲れて帰宅し、ベッドに横になった瞬間、奇妙な音が耳に飛び込んできた。「カタッ、カタッ」という小さな音。最初は風で窓が揺れているのかと思ったが、窓は閉め切ってある。エアコンの音でもない。気になって目を凝らすと、音は部屋の中ではなく、外から聞こえてくるようだった。

私はベッドから起き上がり、カーテンをそっと開けて外を見た。街灯の薄暗い光がアスファルトを照らし、誰もいない路地が広がっている。音の正体は見当もつかない。だが、その夜はそのまま眠りに落ちた。疲れていたせいか、気味が悪いと感じつつも深く考えることはなかった。

翌日も同じ音がした。今度は少し遅くまで起きていて、本を読んでいた時だった。「カタッ、カタッ」。今夜は少し間隔が短い気がする。私は再び窓に近づき、外を覗いた。すると、街灯の光に照らされた路地の奥に、何か動く影が見えた。人の形をしているようだったが、距離が遠くてはっきりとはわからない。背筋に冷たいものが走ったが、「近所の誰かが歩いているだけだろう」と自分を納得させて眠った。

それから数日間、毎夜その音は続いた。次第に音は大きくなり、「カタッ、カタッ」から「ガタガタッ」と響くようになっていった。私は気になって仕方がなくなり、ある晩、意を決して外に出てみることにした。時計は深夜1時を回っていた。懐中電灯を手に持ち、玄関のドアを開けると、湿った夜の空気が顔に当たった。

路地に出ると、音はさらに近くに感じられた。「ガタガタッ、ガタガタッ」。音の方向へゆっくり歩を進めると、路地の角に差し掛かった時、突然音が止んだ。静寂が耳に痛いほどだった。私は立ち止まり、周囲を見回した。すると、目の前の電柱の陰から、ゆっくりと人影が現れた。

それは女だった。長い髪が顔を覆い、薄汚れた白いワンピースを着ていた。彼女はこちらを見ているようだったが、顔は暗くてよく見えない。距離にして10メートルほど。私は息を呑み、動けなくなった。すると、彼女が一歩こちらに近づいてきた。「ガタガタッ」。その瞬間、音が再び響き始めた。彼女の足元を見ると、裸足で、歩くたびに何かが地面を叩いているような音がする。だが、彼女の動きは不自然だった。足を引きずるように、ぎこちなく進んでくる。

恐怖が全身を包み、私は後ずさりした。彼女はさらに近づいてくる。「ガタガタッ、ガタガタッ」。音が頭の中で反響し、心臓が早鐘を打つ。私は踵を返し、アパートへ走った。振り返る勇気はなかったが、背後から音が追いかけてくる気がした。ドアを閉め、鍵をかけた瞬間、音はぴたりと止んだ。

息を切らしながら部屋に戻り、電気をつけたまま朝を迎えた。その夜以来、私はあの音を聞くたびに窓を開けるのをやめた。だが、音は毎夜のように続き、次第に私の部屋のすぐ外で聞こえるようになった。ある晩、とうとう我慢できなくなり、アパートの大家に相談した。

大家は私の話を聞いて、少し困ったような顔をした。そして、こう言った。「実はね、そのアパートの前の住人…若い女の人が住んでたんだけど、ある夏の夜に事故で亡くなったんだよ。足を悪くしてて、歩くときに変な音がしてたって近所の人から聞いたことがある。その後、空き部屋だったのを君が借りてくれたんだ。」

その話を聞いて、私はぞっとした。大家の話では、彼女は路地で車に轢かれ、そのまま亡くなったらしい。足が不自由だったため、逃げきれなかったのだと。私はその日から、アパートを出ることを決意した。引っ越しの準備をしている間も、毎夜「ガタガタッ」という音は聞こえ続けた。そして、引っ越し前夜、荷物をまとめ終えた部屋で、私は最後に窓を開けて外を見た。

そこには、街灯の下でじっとこちらを見つめる彼女がいた。顔は暗くて見えないが、その視線を感じた瞬間、全身が凍りついた。私は急いでカーテンを閉め、翌朝早くにそのアパートを後にした。

新しい住居に移ってからも、あの音と彼女の姿が頭から離れない。あの住宅街には二度と近づきたくないと思うが、時折、静かな夜に耳を澄ますと、遠くから「ガタガタッ」という音が聞こえてくる気がしてならない。

タイトルとURLをコピーしました