凍りついた峠の叫び声

実話風

山間の静寂を切り裂くような叫び声が響いたのは、真冬の夜のことだった。

今から20年ほど前、私は大学時代の友人と共に山梨県の山奥へキャンプに出かけた。12月の厳しい寒さが骨身にしみる季節だ。私たちは都会の喧騒を離れ、自然の中で穏やかな時間を過ごそうとしていた。メンバーは私を含めて4人。運転手の彼はアウトドアに慣れた頼もしい男で、地元の峠道を熟知していると豪語していた。助手席には彼の恋人が座り、後部座席には私ともう一人の友人が荷物に挟まれて窮屈そうにしていた。

その日は昼間から雪が降り始め、夕方には辺り一面が白く染まった。キャンプ場に向かう途中、細い山道を登るうちに視界が悪くなり、車内の空気も少しずつ重くなった。「大丈夫だよ、この道は何度も通ってる」と彼は笑って言ったが、フロントガラスを叩く雪の勢いは増すばかりだった。

峠の頂上に差し掛かった時、突然エンジンがガタンと音を立てて止まった。いくらキーを回しても反応がない。彼は眉を寄せながらボンネットを開けに行ったが、すぐに戻ってきて首を振った。「原因が分からない。バッテリーじゃないみたいだ」。外はすでに暗くなり、雪は膝まで積もっていた。私たちは車内で助けを待つことにした。携帯の電波は圏外で、誰とも連絡が取れない。

夜が更けるにつれ、車内の温度は下がり、吐く息が白く凍りついた。寒さに耐えきれず、私たちは毛布や服を重ね着して体を寄せ合った。すると、遠くから奇妙な音が聞こえてきた。最初は風の音かと思ったが、次第にそれは人の声のように感じられた。かすれた、低い呻き声が雪原の向こうから近づいてくる。

「何か聞こえない?」私が震える声で言うと、友人が目を丸くして頷いた。彼の恋人は怯えた顔で窓の外を見つめ、「あれ…あそこに何かいる」と呟いた。窓ガラスに張り付いた霜の隙間から、暗闇の中にぼんやりとした影が見えた。人の形をしているように見えたが、動きが不自然で、まるで這うようにこちらへ近づいてくる。

彼が懐中電灯を手に持つと、窓の外に光を向けた。瞬間、私たちは息を呑んだ。そこには雪にまみれた人影が立っていた。顔は見えないが、長い髪が風に揺れ、両腕がだらりと垂れ下がっている。距離は20メートルほどしかなかった。次の瞬間、その影がこちらへ向かって一気に動き出した。懐中電灯の光が揺れ、車内が混乱に包まれた。「ドアを閉めろ!」「早く!」叫び声が飛び交う中、彼がエンジンをかけようと必死にキーを回した。

奇跡的にエンジンが再び唸りを上げ、車が動き出した瞬間、窓に何かが叩きつけられた。バンッという音と共に、ガラスにひびが入った。私たちは悲鳴を上げながら振り返ったが、後ろは真っ暗で何も見えなかった。車は雪道を滑りながら峠を下り、やっとの思いで麓の集落にたどり着いた。

地元の古老にその話をすると、彼は顔を曇らせてこう言った。「あの峠では昔、吹雪で遭難した女がいた。助けを求めて叫び続けたが、誰も気づかず凍死したそうだ。それ以来、冬になるとその声が聞こえるって話だよ」。私たちは顔を見合わせた。あの影、あの声。あれは本当にこの世のものだったのか。

それから数日後、私たちは再び集まってあの夜のことを振り返った。すると、彼の恋人が震える手で一枚の写真を見せてきた。峠を下りる途中で撮ったものだという。そこには車内の私たちが映っているが、後部座席の窓の外に、長い髪の女がこちらを覗き込むように立っていた。写真の中の彼女は、凍りついた笑みを浮かべていた。

あれから20年。私はあの峠には二度と近づいていない。でも、雪の降る夜になると、今でもあの叫び声が耳に蘇る。あの影がまだ私たちを探しているのではないかと、背筋が凍る思いがするのだ。

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